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ヤマト

​日本(ヤマト)の方向性

縄文時代、争いのなかった平和な縄文人の精神と英知を学びます。

世界文明の起源である日本の古代より伝わる真理を学び
争いの元となる隷属の観念から離脱し、真の自律を調和の中に
見出す。

経済優先の唯物主義を手放したところにある「目に映らないもの」に気付き、調和を尊ぶ日本社会実現を共に目指しませんか?

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かぞえ

九頭首(九頭龍)の気づきが、眉間の白毫(白髪、白神スクリーンの気づき、三津目、666→369→666の花逆、回転して神鏡神前に供える榊木)の目覚めという事です。 玉浦の浦志摩太郎の気づきの白髪でもあります。 日本人は、まだ生まれていない胎児をーと数えますように、現れを可能に...

我も我が神も否定した先にある空島(カラ)。それで、私たちの祖先を、カラ族と申したのです。

日本人は、終わりなき世(余、私、不死)に、ずっと挑戦して参りました。 角々に、これが私、ここまでが私だという限定される認識を、これは私でないという、バッテン角力(ひっくり返し)する、角松を立ててきたのです。 それは、光の反射で物が現れてゆく行程を否定して、反射の鏡である、行...

交差する対称の世界∞を、世界たらしめる点なき点、境木(榊)、火の元

動静引弛凝解分合の八力も、動に対して静と申しますように、比較が、力の現れ(比日木、開き、比日密土)の正体です。 その比較ができますのも、私に、鏡として観る本性があるからです。 ところで、火(火の神)と水(水の神)として、片である事が現れですが、火水(カミ)として片でない、次...

出家の挑戦

子イサクを殺そうとしたアブラハム、鰐のいる那入川に、赤子の時に捨てられたモーセ、出家(籠目→龍目)とは、いかに困難な事かと思います。 失礼ながら、これまで、その出家の挑戦をなさる度、饒舌な、新たな逃げ場の理論をこしらえてこられたのです。...

イエスの子孫が上陸後隠れた不動は、浮き世を可能にする何か、イエスが申した、私は在る

幼き頃、まだ日が明けぬ暗い、修験道者が歩いていた険しい山道を、祖母に手を引かれ参った毎月28日のお不動さん参りでは、赤飯がいただけました。 食い意地がはっていた私は、赤飯を食べますと、いやいやながら参った想いが、いつの間にか吹き飛んでいました。...

達磨さんと烏帽子の元

岩戸山で五輪書を記した宮本武蔵は、古の歌詠み人と同じ、二天一流の鼓ヶ滝で修行をし、山桜が散る(369の咲耶の後に散り残る666の実)を観て、南無観世音菩薩の唱名の悟りを得ています。 百舌鳥の表現も、この世(宇宙の中の私)とあの世(私の中の宇宙)の二枝に分けた表現です。...

相撲は神事

半島マフィアの謀により、相撲の宝物が奪われ、熊本の吉田司家が、大相撲の神事から遠ざかって、悲しくもあり、何もできずに過ぎ去る時は、あっという間でもあります。 ところで、真剣勝負という観点からも、本場所での、相撲部屋内の対戦と同じ処置が、同郷出身者同士の対戦にも、配慮されるべ...

霊の入れものの魂、令(物部)の入れものの魄の謎

中世の頃から、世界各地で、霊の入れものの魂は、研究されてきたのだと思います。 ところで、私たち日本人は、魂魄という表現をする時もあります。 それは、令(物部)の入れ物の魄を、私たちの祖先は知っていたからですが、時を経て、魄は、単純に、肉体という解釈になってきたのではないでし...

古代祭祀の謎

古代、神と人との祭り事は、環状列石(△▽○)で表現されました。 なぜ和霊(タルムスビ)と申すのかですが、この世界が出現している仕組みを単純に申しますと、神の光が私に当たって、影(世界、次元)が日足りして現れているからです。...

黙示録の四邪馬と邪馬土の四神相応

火や水や刃は、暮らしに役に立ちますが、使い方を誤り(逆立ちいたし)ますと、命を脅かすものとなります。 同じように、四神相応が四神相克となりますのは、私たち(逆那、那人)の思い(念)の成す技(鯰)ですので、四神も、私たちが動かしているとも申せます。...

聖(私は在るの精神)と護(生かすはたらき、かばい手)

ああでもない、こうでもないと、聞くもの(耳)と話すもの(口)が、コロコロと変化して現れる様子を、心と申します。 聖とは、その心に隷属していない何か(王)を申します。 また、見るもの(奇霊▽)と見られるもの(荒霊△)が結ばれている何かを、生かす(護る)はたらきと申します。...

八咫烏神社

八咫鏡と八咫烏は相関関係です。 鏡の外に反射して映る世界が、顕界の八咫烏の日足(影延び)で、内に反射して映る世界が、神界の八咫烏の日足で、鏡面に映る世界が、幽界の八咫烏の日足という事です。 八咫烏や日足、旭日が大事でありますのは、影延び(日足)があるという事が、私に日が当た...

多次元世界の虚実と、浦島太郎の白髪

浦島太郎が、竜宮城から帰還した際に、時間の感覚がズレていましたのは、鏡の表面の津久黄泉に棲む私と、鏡から反射したスサノヲの世界に住む私との多次元世界の間で、意識が行き来しました時に、前の世界の状況を引きずっていたためです。...

狗奴国の夜明けの観音の口伝

一999を一666と角力する冬至の祭りの、7日間の初日の12月18日は、狗奴の夜明けの観音の日です。 数字を順を追ってご説明申し上げますと、12月とは、八咫の鏡という、人が備え持つ特性により、12方向の異なる認識が生まれるという事で、その中でも、人の誕生により起こる認識の範...

分けの分からぬ、後ろの正面の気づき

出た火と出た水の後ろの正面は何かが、水前寺成趣園(火水、出水神社)の示しですが、霊(エジプトではトキ鳥、獅子、私の中の宇宙)と令(エジプトでは黒犬、狛犬、宇宙の中の私)のトト神のトト呂の秘密でもあります。 なにを分けのわからぬ事を言うとお思いでしょうが、火水として、火と水の...

鏡は、私はどこから来てどこへ行くのかの学び

キリスト教が景教といわれる前、景の意味は太陽でした。 ですから、景行天皇が祈られた、拝ヶ石は、太陽神殿です。 ところで、母黌歌にも、景はでて参りますが、ただの宇宙の景観だけではなく、内なる精神の輝きという事です。 その景を示したものが、皆さんもよくご存じの銅鏡という事です。...

お星さまきらきら、空からみてる

京都の五山の送り火、五色の短冊、それらは、人の想いではありますが、その人自らの息の端々(五芒、禾、星々)に現れていますのは、親神の子へのオノゴコロではないでしょうか。 私の想い以前に、親神の思いがすでにあるという可笑しな表現ではありますが。...

お星さまきらきら、空からみてる

京都の五山の送り火、五色の短冊、それらは、人の想いではありますが、その人自らの息の端々(五芒、禾、星々)に現れていますのは、親神の子へのオノゴコロではないでしょうか。 私の想い以前に、親神の思いがすでにあるという可笑しな表現ではありますが。...

正勝吾勝勝速日の神名と影(時空)の謎

注(敏感な方は、写真はスルーしてください。あくまでも観察として載せています。) 周回する徒競走で、ヨーイドンで、ゴールだ一番だというものがいましたら、皆さま方はお怒りになるでしょう。 ところが、そのワガママで無法なものが、実はあなたなのです。...

四魂の玉

魚の骨が喉に刺さって痛い時、魚の骨の悪事を並べましても何の解決にもなりません。 また、喉を個別に責めても同じです。 魚の骨は、あなたの生きるはたらき(あなたを生かすはたらき)が、自然と外に出す事でしょう。 ところで、人生において遭遇する嫌な事も、表に現れたという事は、すでに...

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角力(終末)への挑戦

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