キリスト教が景教といわれる前、景の意味は太陽でした。
ですから、景行天皇が祈られた、拝ヶ石は、太陽神殿です。
ところで、母黌歌にも、景はでて参りますが、ただの宇宙の景観だけではなく、内なる精神の輝きという事です。
その景を示したものが、皆さんもよくご存じの銅鏡という事です。
姿見とは、本である自らのすぅずぅう→うちゅうのす形を映し見る、次なる元という事です。
皆さんが大事になされる次元の高級か低級かも、次の元の影絵でしかありません。
実際に、銅鏡に反射された影絵が、私たちが現実という所の世界であり、銅鏡そのものこそ、実であるのです。
私たちは、映されているもの、捕らえられるものを実在と勘違いしていますが、実際は、影絵のように儚く、実在性がないものです。
逆に、銅鏡そのものは、映像として捕らえられないからこそ、実在を示しています。
それで、その影(自分と分けたもの、分かるもの(理解できるもの))を見るのではなく、分からない、捉えられない、影の後ろの正面の実在で在りなさい、と申しますのが、観自在(自は在ると観る)という事です。
ところで、神伝(古事記)での天の坂矛(ぬほこ、ぬは御言、命、口、ぐぬち、龍命)では、ナギナミ尊が、神生み島生みをいたしますが、これは、人が神を出現させているという、神による創造神話の世界宗教とは、真逆となります。
なぜ真逆かは、銅鏡の方から影絵に映った神々を見ているからです。
ですから、自らが生き宮であり、影絵と見た自分と分けたものではない自覚にあるのです。
それで、神々は、銅鏡から生まれて、銅鏡へ消えて逝くので、座ら(諏訪日)したままで、神々に参る必要がないんだと察します。
されど、実子の自覚なき間は、旧、新、成と、契約の方便を歩まなければなりません。
ちょうど夢の中ようにです。
夢の中での自分と分けたもの、その多くの配役(影絵)も、夢から醒めてみますれば、自らが在るだけという気づきだけです。
そこで初めて、その銅鏡に光を当てている親神にも気づき、契約(影絵を実とした末法)の時代は終末という事です。
写真は、母の実家の球磨郡あさぎり町の、才園古墳です。
ここの金鍍鏡は、景を示しているのではないでしょうか。
同じあさぎり町の本目遺跡、免田式土器は、斎器として使われる、霊△▽○と令△▽□の片仮名を合わせて真名に気づく、マナセ(真名合わせ△▽○△▽□)の壺です。
古代も今も変わらず、人生は、私はどこから来て、どこへ行くのかの、学びという事ですね。
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