ああでもない、こうでもないと、聞くもの(耳)と話すもの(口)が、コロコロと変化して現れる様子を、心と申します。
聖とは、その心に隷属していない何か(王)を申します。
また、見るもの(奇霊▽)と見られるもの(荒霊△)が結ばれている何かを、生かす(護る)はたらきと申します。
なぜ、生かすはたらきには、見る私と見られる相手に、差がなくなる(結ばれる△▽の菱餅◇になる)のでしょう。
それは、生かすはたらきが、自他を判別、善悪を判別する思考の隙間のない、鳥坂(咄嗟)の反射作用だからです。
えこひいきなどありませんから、見るものと見られるものの差を設けようがない(差取りの努力以前の気づきな)のです。
そこで皆さま方が、我が正義の軍、正義の論に勝たせてくださいと差を願いになられましても、それは、生かす(護る)はたらきを妨げる願い事ですので、叶わないわけです。
坂口自身、青年の頃は護衛艦に乗り、その後数十年と聖(ひじり)会の活動をしておりましたのは、この謎に挑戦して参ったからです。
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