一999を一666と角力する冬至の祭りの、7日間の初日の12月18日は、狗奴の夜明けの観音の日です。
数字を順を追ってご説明申し上げますと、12月とは、八咫の鏡という、人が備え持つ特性により、12方向の異なる認識が生まれるという事で、その中でも、人の誕生により起こる認識の範疇は、12を時計の文字盤で表現いたしますと、666から369と下半分が開く半跏坐(下照秘女、木花咲夜秘女)という事で、その視点面は、18分けあるという事です。
それで、観音の命日は18日なのですが、私の中の宇宙、宇宙の中の私の2視点面×顕界、幽界、神界の3視点面×宇宙が開闢し生成化育する来常、止まった不動、分離解体する田貫の3視点面の、合計18の視点面であるわけです。
そのうち、一999の視点面とは、宇宙の中の私、顕界、来常という事で、一666の視点面とは、私の中の宇宙、神界、不動の視点面という事です。
同じに、この666の視点面は、Vのはじきの先端(芒、禾、お箸)の事でもあり、これを漢字で表現いたしますと、熊本の元の字の隈、高原の神武天皇の幼名と幼名地の狭野となります。
よく、科学では、宇宙の仕組みが推論なされますが、そもそもの観察者の視点、観察される面が動く多様性がありますので、推論を超える事ができないのです。
坂口が時折載せます変な写真の数々は、そういう意味では、視点面が定まっていない、顕幽神三界の八咫烏の三本足が、バタバタしているという事です。
そのバタバタを超えて、映像を可能にするスクリーン(白神、菩提)は、虚実の映像ではなく、実在する、捉えられない何かなのです。
半跏坐宇宙の迦那(美しい世界)を示す、本名は龍家戸間金(境木の事)の、蜘蛛貝を釣るし祈り、はじきを施した愛加那の写真はお借りしています。
余談ですが、五井というお方の、夜明けの観音の教えを坂口にお届けいただいた、日本(ヤマト)の島村副会長のお誕生日は12月18日で、口伝者の坂口と同じです。
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