古代、神と人との祭り事は、環状列石(△▽○)で表現されました。
なぜ和霊(タルムスビ)と申すのかですが、この世界が出現している仕組みを単純に申しますと、神の光が私に当たって、影(世界、次元)が日足りして現れているからです。
ですから、神そのもの、私そのものからの本元(日の本)の視点を復活いたしましょうと申しているのです。
また、人と人の政り事は、比日密土(△▽□)で表現されました。
なぜ幸霊(タマツメムスビ)と申すのかですが、もう一つのこの世界が出現している仕組みを単純に申しますと、タカアマハラのタ声の対称性によりタ分け(賑やか、玉名が分離)しているから、玉を詰め直すのです。
この時、生成化育していく稲荷の方向性を来常(狐)と申し、分離破壊していくシヴァ(しば刈り)を田貫(狸、タ声を終える)と申します。
それで、玉名の菊池の剛刀は同田貫でもありますが、日本では、化ける物が、狐と狸といるわけです。
それで、その化かし合いに騙されず、不動の視点から観ましょうと申しております。
この観るは観音で、狐狸の狗の夜明けの時を示しますので、夜あ(狗と明を合わせた字)けの観音と申します。
拝ヶ石では頂上石が△▽○に当たり(山頂そのものの丸みは地球の丸み)、おむすび石が△▽□に当たるのですが、合わせて六芒△▽○△▽□という事に成ります。
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