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出家の挑戦

子イサクを殺そうとしたアブラハム、鰐のいる那入川に、赤子の時に捨てられたモーセ、出家(籠目→龍目)とは、いかに困難な事かと思います。

失礼ながら、これまで、その出家の挑戦をなさる度、饒舌な、新たな逃げ場の理論をこしらえてこられたのです。

それは、ちょうど、逆立ちを辞めないものに、辞めたらいかがと申しましても、逆立ちを楽にする方法を見つけたとして、逆立ちそのものをお辞めになられずに、小躍りして喜んでおられるようなものです。


日本遺産であります人吉球磨では、これから、雛祭り一色となります。

以前は、熊本城マラソンに参加していた長女も、人吉の街並み情緒に惹かれて、ここ数年、人吉温泉春風マラソン大会に参加しています。

ところで、先日、モーセが生まれた時、エジプトの那入川で、王家の女性に拾われて養子になった話をいたしましたが、日本(那)人は、赤子を、一度川に流して(お供えして、イサク献身も元々子に刃を入れる那人の風習)、神様から授かり直すという風習をもっていました。

桃太郎の桃が、川で拾われる話も、子への執着にかけてありますが、日本(那)人の風習でもあります。

豊の臣の秀吉が、子に付けた名前も、捨てるか拾うかで迷ったという事は、豊葦原の祭祀を聞いていたのかも知れません。

今でも、あなたは橋の下で拾ってきたという冗談を、お聞きになられるかも知れませんが、古代は、本当の事でもあったのです。

ところが、命を落とす事もあるので、それでは忍びないとして、雛人形となったと伝わります。

殉教者が、埴輪に代わったり、鬼道といわれた日本人の風習も、時代と共に、変化していったとも申せます。

しかしながら、我が子が、神からの授かり者という認識までも、薄れていったのかも知れません。

虐待というニュースを聞く度、心が痛みます。

ところで、川に流された雛人形の雛も、日本人の考え方です。

それを形とした水前寺成趣園は、日本(日の丸)の雛型であり、また、世界(地球)の雛型であり、人(魂)の雛型でもあります。

雛は、神のオノゴロ島(設計図)との祭り合わせ(祭の成趣斎園殿)○△▽という事でもあります。

そして、雛型である球緒は、イクムスビ△▽により現れて参ります。

ピラミッド□△▽などの形も、その現れです。

菱餅は、モーセがついた餅つきの△▽の合気◇です。

雛霰は、荒霊奇霊であるイクムスビ△▽、そのものです。

白酒は、白神である月の逆月(盃、反射、曲玉)という事です。

その逆月により、この世界に酔ってしまったのです。

雛壇飾りの順序は、古事記の宇宙開闢の示しの順序と同じです。

また、私の実在を示す金の屏風など、雛飾りは、教えに溢れています。

そして、人と人の真釣り合わせである政の成趣斎園殿(ラィエデン、神成)は、四神相応□△▽で建てられます。

国宝人吉青井阿蘇神社もそうですが、同時期に建てられました平安京(エルサレムの城)も同じ四神相応です。

実は、節分の豆まきも、雛まつりをしていた、日本人(鬼)の考え方が影響しています。

豊葦原の祭祀は、曲(高曲原)から巻(蒔)かれた、豆(高天原)を真釣り合わせます。

ここで、豆を解説いたしますと、ー(阿面)の口は、並立する世界である内裏(イワナガヒメ)と雛(コノハナサクヤヒメ)と分けます。

私たちは、ついつい、宇宙の中の私(コノハナサクヤヒメ)ばかり見とれて、並立する私の中の宇宙(イワナガヒメ)は、忘れがちです。

もしも、宇宙の中に、息苦しいものを感受しましても、私の中の息苦しさを葺き替えなければ、何も変わらないという事です。

古事記と同じ話は、ヤコブのラバン叔父さんの話でも出て参りますが、要するに、見にくい姉の方から結婚(注目)せねばならぬという教訓です。

それが、福は内(葺き替え、言吹き、寿は内)、鬼は外(王仁、愛は外)という事です。

すべての宗教の元、皆さんの阿耶高(祖先)の縄文の古神道では、言(事)祝という事に成りますが、耶蘇教(キリスト教)では、福音という事に成ります。

写真は、実家に伝わります、雛まつりの掛け軸です。

なぜ、掛け軸かと申しますと、雛人形は、煙として天に帰されて、残っていないからです。



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