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達磨さんと烏帽子の元

  • yamato-567
  • 2020年9月28日
  • 読了時間: 1分

岩戸山で五輪書を記した宮本武蔵は、古の歌詠み人と同じ、二天一流の鼓ヶ滝で修行をし、山桜が散る(369の咲耶の後に散り残る666の実)を観て、南無観世音菩薩の唱名の悟りを得ています。

百舌鳥の表現も、この世(宇宙の中の私)とあの世(私の中の宇宙)の二枝に分けた表現です。

また、武蔵は、多くの達磨の絵を残していますが、その元の達磨こそ球磨理で、蘇りのため、頭蓋骨変形で胎児の頭にしていた迦那人です。

実家の達球磨理の掛け軸は、そのクマリの頭(烏帽子の元)を今に伝えています。



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