九頭首(九頭龍)の気づきが、眉間の白毫(白髪、白神スクリーンの気づき、三津目、666→369→666の花逆、回転して神鏡神前に供える榊木)の目覚めという事です。
玉浦の浦志摩太郎の気づきの白髪でもあります。
日本人は、まだ生まれていない胎児をーと数えますように、現れを可能にする何かから数えます。
数は、神の光(米)から私(I)が落千葉され曲げられて、米→光となる、在る事から成る事への過程を一くくり(女)で示すものです。
私たちの頭は、現れの八に目を奪われ、八岐大蛇のように、善悪、損得、尊卑、進退にとらわれますが、それを可能にしている、変化(来常)、生成化育(稲荷)しない、座ら(諏訪日)している何かこそ、私の実在です。
写真は、顕幽神三界を反射し映す坂木の囗(ぐぬち)である龍命が、月で喩えられる私の実在を、三津目ている示しの絵です。
長崎のおくんちでは、龍が、月の玉を追いかけますが、人吉青井阿蘇神社のおくんちでは、白毫(白髪)の気づきが、より具体的な物語となっています。
おくんち祭りは、戸間(す平す)の九らしを示す、10月9日が〆となります。
写真は、人吉青井阿蘇神社をお守りくださる、FBの友の住吉様からお借りしています。
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