○足留結び、△▽○の環状列石(祭)、□玉詰結び、△▽□比日密土(政)、△▽○△▽□(祭政)
荒霊は、この世界の環境が準備される能力で、奇霊は、その世界を冒険する能力で、この二つは、便宜上で分けてはありますが、不可分でありますので、合わせて△▽生狗結びと申します。 また、実在の神が何であるかを知る能力を和霊と申し、日が私に当たって、日足(影)が延びていますので、○足...
日本(ヤマト)の方向性
縄文時代、争いのなかった平和な縄文人の精神と英知を学びます。
世界文明の起源である日本の古代より伝わる真理を学び
争いの元となる隷属の観念から離脱し、真の自律を調和の中に
見出す。
経済優先の唯物主義を手放したところにある「目に映らないもの」に気付き、調和を尊ぶ日本社会実現を共に目指しませんか?
荒霊は、この世界の環境が準備される能力で、奇霊は、その世界を冒険する能力で、この二つは、便宜上で分けてはありますが、不可分でありますので、合わせて△▽生狗結びと申します。 また、実在の神が何であるかを知る能力を和霊と申し、日が私に当たって、日足(影)が延びていますので、○足...
6という人の数は、私の中の宇宙と宇宙の中の私の2×現れて来る世界の認知(来常、狐)、止まっている世界の認知(不動)、消えて逝く世界の認知(同田貫、狸)の3=6という事です。 それが顕界(外反射鏡)幽界(面反射鏡)神界(内反射鏡)となりますので666なわけです。...
超常的な能力に憧れてこられた方々にとりまして、宇宙人(神々)の能力は、魅力あるものなのでしょう。 その宇宙人から得た僅かばかりの能力で、常人に対しましては、尊大になる罠に嵌まるのです。 そして、さらに重ねて、宇宙人からその能力を買ってしまわれます。...
これまでの宗教や流行りのスピリチュアルのように、宇宙大に意識が広がるとか、誰彼にも在ると申しませんのは、私は在るは、レンズの度合いで捉えた景色にあるのではなく、レンズそのもので在るからです。 その は、私個人の意欲です。...
神道や仏教の信仰をお持ちの方が、私の投稿に違和感をお持ちなのは存じあげておりますが、これまで明かされなかった神名、仏名をご説明していますのは、古の神名が個人の名ではなく、教えであるからです。 また、一人の個人がいくつもの他の方と重複する名をお持ちです。...
七つの封印のうち、六つまでは、危機的状況が迫る中、救いを、平和を祈る(願う)わけです。 ところで、七つ目の封印が紐解かれる時、ヨハネは泣き、イエスに叱られます。 なぜなら、七つ目の封印を紐解く鍵は、祈願の城でもある教会を、ヨハネが命がけで守ってきたイエスへの信仰と教会への執...
映画での映像が、スクリーンから浮かび(浮世、浮舟)現れて、スクリーンに消えて逝きますように、現れの人は、鏡(月)から来て、鏡(月)へ帰ります。(反射、釈加具土、土→十一→土、土の反射の坂矛) 聖書での、人は土から来たのだから土へ帰るは、科学的な物質結合分解の示しと共に、人が...
球磨の京ヶ峰横穴墓が面白いのは、メソポタミアのアヌンナキと、大和朝廷の菊花紋と矢立紋を繋ぐ中間的な表現だからです。 その続きとして、まるで落書きのように刻まれたケルトの○十字は、鬼滅の刃です。 彼らは、今の日本の炭焼き小屋のような人里離れた所で刀を製造し、ある時は河で水酸化...
球磨郡錦町木上は、ツクシイバラの珍しい自生地です。 木上(姫、杵の暗示)の目郎には、酪農と菊の生産をしている従兄達がいます。 近くには、夏目(亀の暗示)遺跡や京ヶ峰横穴墓もあり、天子の水公園や、エジプトのコンパス型の菱紋の天子宮もあります。...
ペルシャ(イラン)の四騎獅子狩紋錦は、聖徳太子の旗といわれています。 これは、火による目覚めの曼陀羅で、新約聖書の黙示録の四騎士(四邪馬)のストーリーそのものです。 ウトゥ(ユーフラテス)川の両国(ウルとウルク)や、国技館の吊り天井の四房(四神)や、烏土(影が烏のように延び...
夜明け前は最も暗く寒い。 岩戸山(岩戸観音)に登る時、まだ眠たい幼い私の手を引いた、祖母の口からついて出た独り言です。 その時感じたのです。 祖母も趣味で登っていたわけではないと。 本人(幼い当事者)に自覚のない、何の成果もない繰り返しには、気が滅入る事はあります。...
織田信長や豊臣秀吉にとって、古今和歌集は、嗜む程度のものでしたが、徳川家康にとりましては、人生を左右するものであったのです。 皆さま方もご存じの、座わりしままに食うは徳川の話も、古今伝授の教えの柱となるものです。 ところで、五奉行として、表には、徳川家康と敵対関係にあった前...
マヤの都セイ(シー)バルと、火の国玉名のトンカラリンや江田船山古墳のセイバルという地名は、海と火という事ですが、これは、海の鳥井で行われる火の国まつりのルーツでもあります。 また、ペルシャ帝国のバル神信仰であり、エルサレムの神殿の太陽(火、菊)の門と禊ぎ池(水)の洗礼を示し...
如何なる旗も、一つの国家、一つのチームを目指す、八咫(天下泰平)であり、四角形でありますのは、玉を詰めて限りなく密なるー(本、元)に近づく幸霊の、玉詰め結び△▽□を示します。 日本語の言葉遣いでは、いた(八咫)します、です。...
なぜ、鶴(北斗七星)と亀(北極星)が、柄杓の形かと申しますと、太古の太古の話ではありますが、地球の水が天から来たという事で、その天水を調整する雨宮が、天帝(亀のキと鶴(巳)のミで君)と言われていたからです。 中国での掃晴娘(日本での照る照る坊主)は、雨を降らす(真釣らす、実...
稲作の源流は野生米ではありますが、稲作も畑作も、元々の自然を壊す挑戦です。 また、バアル(バル)の七つの階段を登りますのも、神と同じ実在の気づきへの挑戦だとも申せます。 神の使いがいるだけで、人さえいなかったら、今よりも美しい地球だったのだろうと、想像できると思います。...
七つの封印を紐解かねばならぬ小羊(あなた様)が、なぜ犬の顔をした七つの目なのでしょう。 イエスの弟子のヨハネが、イエスの解説に、なぜに号泣せねばならなかったのでしょう。 それは、六つ目までは、イエスの教えと教会を守るためであるのに対し、イエスの再臨(再挑戦)による七つ目は、...
マグダラのマリヤは、イエスの話を聞いてばかりで仕事をしないので、他の弟子たちからは、疎ましく思われていました。 弟子たちに誤解がありましたのは、イエスのために、この革命グループではたらいているのだけれども、なぜ、イエスは、仕事をしないマリヤを、お咎めにならないのかという事で...
皆さま方は、何か祓うという事に、悪者を追い払うものだと誤解なされているのかも知れません。 大祓いの祝詞が、なぜに祝いなのかは、すべて、私を生かすはたらきに繋がっているからです。 例えば、ウイルスがやってきますと、これを熱が払います。...
古の言霊を復活させますと、豆は、ーなる何かが、聞くもの(耳)と話すもの(口)に分ける(並立する)様子に気づいている真目(聖)です。 要するに、鏡に映った目ではないという事です。 節分(王仁(愛)は外、葺き替えるは内の復活)の豆まきは、坂口の実家では、イースターに、自らの目に...