ペルシャ(イラン)の四騎獅子狩紋錦は、聖徳太子の旗といわれています。 これは、火による目覚めの曼陀羅で、新約聖書の黙示録の四騎士(四邪馬)のストーリーそのものです。 ウトゥ(ユーフラテス)川の両国(ウルとウルク)や、国技館の吊り天井の四房(四神)や、烏土(影が烏のように延びる冬至の太陽)の岩戸山の霊巌洞の、四面馬頭観音も同じ意味合いです。 火とはこの人生の体験そのもので、イエスが火を投げ込むために来たと申しましたように、火は、私たちに気づきの機会を用意いたします。 また、その火の気づきを表現しましたのが斑鳩(火鳥、ケルビム)です。 金閣銀閣寺や、ノートルダム寺院など、宗教を超えて建造物のシンボルとしてあります。 大嘗祭でも見られますね。 それでは、斑鳩という表現の芯にあるものは何かという事ですが、全身が目である斑目という(目でないところがない)ところがミソです。 目は物事を捉えますが、捉える事ができないものが唯ーあります。 それは目そのものです。 捉える事ができる八咫烏の三本足という影の後ろの正面の、捉える事ができない実在(アルラ)です。 それが仏性であり一人子であり、神鏡であり白神という事です。 写真は、四騎獅子狩紋錦です。 聖徳太子が師日羅の元に彫った手彫りの仏像があるお寺の横を、本日も飼い犬と散歩いたします。
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