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yamato-567

火宅の人の教え

神道や仏教の信仰をお持ちの方が、私の投稿に違和感をお持ちなのは存じあげておりますが、これまで明かされなかった神名、仏名をご説明していますのは、古の神名が個人の名ではなく、教えであるからです。

また、一人の個人がいくつもの他の方と重複する名をお持ちです。

それで、名から個人を特定する事はできないばかりか、名を持つ個人への執着から、名の意味する所を見失います。

何々の神があなたの背後におられますとか、毎日のように方々からご助言をいただきますが、私は神を探しているのではなく、私に気づいているのです。

神々は、その使い(御使い、天使)としてはたらいているものです。

使いの神は、案内という事で、地図の役目を果たします。

ですから、地図は、案内の教えが大事であって、名は二次的なものです。

もちろん、案内よりも、実の私が最も大事です。

私がなければ、案内がわざわざ、時には災い(技合い)として現れてくれる事もないのです。

神名が、皆さんにとって興味をひくオモチャであっても、火宅の家から出る理解からの気づきがなければ、使いの神のはたらきは、また、火宅を用意してくれるでしょう。

その時になって、これまで身も心も捧げて信じてきたご自身が崇拝なされる神は、悪神だとおっしゃるのです。

問題は、なぜ私は大事とされるのか、その大事な私を見失い、親なる神(仏)を知らないだけです。

法華経の、火宅の人の教えの写真はお借りしています。



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