マグダラのマリヤは、イエスの話を聞いてばかりで仕事をしないので、他の弟子たちからは、疎ましく思われていました。
弟子たちに誤解がありましたのは、イエスのために、この革命グループではたらいているのだけれども、なぜ、イエスは、仕事をしないマリヤを、お咎めにならないのかという事です。
実は、各お役目(天命)は、イエスの為ではなく、弟子たち自身のために道が用意されている事が、残念ながら、わからなかったのです。
当時も、イエスらのグループよりはるかに、世の為、人の為に尽くしておられた方もグループも、おいでだったのでしょう。
されど、自らの末(出来事)を主とする認識を変える事なく、本末転倒の逆立ちをしたまま、社会を変えようとなされていたのです。
そして、私は正義、悪があるから変えるんだという末の認識は、どこまでも、悪との戦いに終わりはありません。
なぜなら、その悪の元は、自分と分けて捨て去った、片割れの自分だったからです。
日本(ヤマト)としてのグループが、他のグループさまと同じ挑戦であるのなら、また、坂口の為にはたらいてくださるのなら、元々、日本(ヤマト)を立ち上げる意味もありませんでした。
それで、いつも、坂口には隷属してはならないし、物や教えをお与えになる必要はないと申しているのです。
日本(ヤマト)は、あなたは誰かと問われたイエスが、私は在ると本末の認識で答えた、その認識に、個々で挑戦なさるご機会を、ご提供しているのです。
それで、個々のお役目は、その挑戦に最適な機会があるというだけで、個々の長の方々が、その分野の能力が、他の方々より優れになられておられるからではありません。
その、グループとしてのコンセプトを、まずご理解ください。
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