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yamato-567

666の八咫の鏡の機能

6という人の数は、私の中の宇宙と宇宙の中の私の2×現れて来る世界の認知(来常、狐)、止まっている世界の認知(不動)、消えて逝く世界の認知(同田貫、狸)の3=6という事です。

それが顕界(外反射鏡)幽界(面反射鏡)神界(内反射鏡)となりますので666なわけです。

一段的に私たちが認知している世界は、宇宙の中の私という一択で、

が不全を起こしていますので、認知した狭い範囲に意識を置いて(天の浮橋に埋没して)いるわけです。

これを666が本末転倒して一択の認知になっているー999と表現いたします。

ところで、実家の尖頭頭蓋骨変形の達磨(球磨理)の掛け軸は、胎児からの生まれ変わりを意味しています。

胎児の時は皆さま方の頭も尖っていました。

これは、トンカラリンの、トンガリ山から日輪(リン)を引き込む生まれ変わりのシステムと同じです。

なぜ猿田彦が天照大神(天神アン)の道案内かと申しますと、日(北極星)を引き込む文字の申(猿田日子)だからです。

おどる鈿女の石がトンカラリンの入口にあります。

そのー999の機能不全から胎児の形の666に戻る(天の浮橋に立た〆る)事が蘇りのシステムです。

それを1999→666で表現しているわけです。

七の月とは、トンカラリンの七つの階段も有名ですが、大洪水明けを祝う七月祇園(シオン)祭や、正月七日の七草粥の新たな世界(年)の意味があります。

新たな年を、水が干かねば芽を出さない鶴の葉(津波を留める鶴は干捻転、水瓶に水を溜める亀は満捻転)で、私たちは年明けを鶴亀で祝い、ずっと受け継いできているわけです。

聖書のオリーブの葉は、譲り葉(津留の葉)の代用です。

また、アンゴルアモイの大王のアンゴルとは、天神アンが北極星に凝った状態で、アモイとは、球磨弁で天下という意味です。

そもそも聖書の黙示録もノストラダムスの預言書も、時の支配者に都合が悪ければ、焚書されるわけです。

666の謎を紐解く、現史の支配のし方を終わらす年を経た蛇(縄文人)が悪者であったほうが、支配には都合がよいわけです。

そして森を守っていた縄文人は、森林を燃料として使う拝金者の都合のために森の悪魔にされ、住処を追われて、安住(安曇、天神アンを祀る迦那安津呂の故郷)の地である日本(鎮守の森)へ帰る事となります。



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赤子

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