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ヤマト

​日本(ヤマト)の方向性

縄文時代、争いのなかった平和な縄文人の精神と英知を学びます。

世界文明の起源である日本の古代より伝わる真理を学び
争いの元となる隷属の観念から離脱し、真の自律を調和の中に
見出す。

経済優先の唯物主義を手放したところにある「目に映らないもの」に気付き、調和を尊ぶ日本社会実現を共に目指しませんか?

ホーム: ようこそ!

逆立ちを辞める呼びかけ

CM後30分までは、特別なプレゼントが用意されていますは、商売だから仕方ありませんが、何時までにあなたの意志、祈りを捧げてくださいは、救世主になりたいものの、自滅に連れ添う事でしかありません。 もし信じるに足る救世主がいると仮定いたしますなら、あなたを現して(可能にして)い...

私は在る

恋愛での体験で感じた方もおられるかも知れませんが、それを失った時、髪型や服装が似た人というに止まらず、見るものすべてが、その人に感じられる事があります。 それをおかしな(妙見な)事とご認識なされ、心の奥にしまい込まれるのかも知れません。...

生まれも死にもしない不動の視点に角力(七、ひっくり返し)する時

大洪水を伝える、エデンの園、ノアの方舟の元の話のウトナビシュティム、ティルムンにも、七は重要な数字として出て参ります。 ところで、七草粥で知られる、1月7日の舎那蒼(七草、美しい景色)は、13000年前の太平洋での大津波後、季節をまたいで雨が降り続き、その過酷な環境が終わり...

天の鳥船を探しての初夢登山

FBの友との拝ヶ石登山が中止となり、時間ができましたので、熊山に登りました。 熊山は、芳三山の二ノ岳で、熊本の中の熊本、13000年以前の先史の世界文明の、比日仁育(一字で熊)での大津波から生き延びた人たちが奉(ホウは芳)じた山です。...

真我を光を反射する曲、神の米(マンナ)をくくる菊と表現した日本人の凄さ

仏教では、仏に、仏法に、帰依するという言葉があります。 南無でもありますが、帰依するという事は、それまで離れていたという表現になります。 ところで、法華経の長者窮子の話では、災いで幼期に離れ離れになってしまい、親子である事どころか、人も信じられない子が、扮装した長者に助けら...

斎島の那日ムスと奈良

海戦を得意とした平家(伊勢平氏)は、思いもよらぬ、船頭を射るという源義経の戦法と味方の裏切りにより、壇之浦で屈します。 平家の軍の象徴でありました平知盛は入水して潰えますが、その遺児は、九州山地の奥地の中の奥地、椎葉村に落ち延びたといわれています。...

失われたアークはどこへ

大洪水の禊ぎの後、芳船(ホウの芳は天神アンを奉じるのホウ)で生き残った彼らには、新たな試練が待っていました。 ノアの裸を見て恥ずかしいと思って、寝ているノアに服をかけた他の兄弟たちとは異なり、服をかけた息子を、なぜに、カナンは呪われよと、ノアは嘆いたのでしょう。...

アンタレスの星の位置(五角形)で農事を決めていた猿田彦の姿は、稲作そのもの

写真は、仁川のどこかの警察署の署長をしながら、韓半島の歴史調査をしていた大伯父が持ち帰った、韓国のよくある農村の風景です。 稲作が日本から伝えられた事がようやく明らかになってきていますが、一方、韓国の農事は、今の日本では忘れられた、私たちの祖先が残していったものがあると、大...

死の接近は、物質的執着を諦める良い機会ではありますが、精神的執着を諦める事は、死をもってしましても脱するに困難です。日本(ヤマト)は、この困難に挑戦する場です。

お陽さまに当たれば、淡路と固まっていた氷は溶けて参ります。 溶け出した火と水(淡→火と水)は、津となり、私の人生に技合いとしてかぶります。 現れた水は、再び拾わなければ消えて逝きます。 ただ、火は、見えないだけに再び拾ってしまうのです。...

霊界の二つの太陽(日月)の謎

英国BBC放送のドキュメンタリーで、世界を驚かせましたのは、最新の科学技術による、真実のイエスの肖像です。 日本人なら、親戚に一人はいる、どこかで見た顔という事になりますのは、歴史の教科書の、縄文人のようであるからです。...

生きとし生けるもの

お墓にお花をお供えするという事は、植物の命の犠牲の上に成り立っています。 古代の熊襲の墓には、墓一周に、立て花が立てられた痕跡を感じます。 ところで、私は花屋を生業としていますので、毎日、たくさんの花の命を断ちます。 その生命を犠牲にしておいて、人の暮らしが豊かであると申し...

冬至の鬼道(蘇り)をする日本人

大陸では、冬至の鬼道(蘇り)をする日本人は、奇異な民族でした。 ところが、よくよく考えてみますと、火の君と同じように、イエスは蘇りをしていましたし、名もこちらと同じ耶蘇なわけです。 また、坂口の祖父のように、一度死んだイエスが、生き返った事になっています。(祖父は三度死んだ...

天神と白神の王と乳母井戸信仰

現代人は、目先の心地よさ、または今の苦難を見て歩みますが、古代人は、海からその元の川へ、そして川の元の元泉、雨、出雲へと思いを馳せました。 火雷神(ホノイカヅチノカミ)は、その雨を呼び知らせる雷です。 その雷を祀る雨宮は、ライエデン(神成)であり、その祭場が、皆さま方がご存...

揺ヶ池と塩井社

ヤマト熊本でのありがたいご縁を頂き 武内先生の『ペトログリフが明かす超古代文明の起源』にそって熊本を紐解いております。 昨日の奈我神社に続いて海洋民族が大火山阿蘇を目指し白川を遡ったように、今日は揺ヶ池や塩井社をたずねてまいりました。...

天の浮橋に立っている自覚なしに、何も始まらない

危険という警鐘も、危険という言葉だけに尾ひれが付いて、かえって混乱を招きますので、慎重に話さなければなりませんが、日本の中央構造線が、世界で最も知られる地震の巣であり危険である事は、皆さん方もご存じの事だと思います。 それは、ある意味、言霊の幸給う国という事と、相関関係にあ...

私たち日本人は、絶えず、龍体に意乗る、天の浮き橋人の自覚になければなりません

冬至の日の光は、熊本の拝ヶ石巨石群の熊山から、日光東照宮へと抜けます。 その地下は、中央構造帯でもあります。 日本列島そのものが龍体でありますのは、冬至の光の法の雨と、地下の技合いが一体だからです。 ですから、神州であるがゆえに、災害も多いというわけです。...

厳島はマナ瀬の島

武内一忠先生の、日本国の五千円紙幣の五は、▽△のになっていますよというお話には、自身の注意力が足らぬだけで、至るところに親神の示しはあるのだと、感動いたしました。 ここからは、河内船津厳島神社の世話役を勤めた、祖父や父からの口伝でありますが、その五は、厳島の事であり、斎(い...

無知の知を知る冬至の古代の祀り

本日から冬至の一週間(蘇り)の挑戦が始まります。 なぜ挑戦なのかは、勇気がいるからです。 まず、冬至までの三日間は、私は真理(キリスト)を知らないという挑戦です。 情報を集め、知識を我がものとする事に勇気はあまりいりませんが、私は知らないという無知の知には勇気がいります。...

古代人の気づき~私は在るのベルの目

日本人は、願いが成就いたしますと、達球磨に目を入れますね。 その目は、初めであり終わりである何かで、決して、生まれも死もない何かです。 この目をベルと申し、蘇りとは、ベルの気づきの復活という事です。 ですから、バベルの塔が建ちましたのは、ベルの気づきを失っていたからで、決し...

赤穂浪士と日本人の心

582年創建の山鹿の日輪寺には、赤穂浪士の遺髪供養塔があります。 細川家は、藩主網利公自ら義士の引き受けにいこうとしましたが、それでは、細川家がお咎めを受けるとして、家老が必死に止め、かわりに家老が875名の家来を連れて、大石内蔵助以下十七名の義士を引き受けに行きました。...

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角力(終末)への挑戦

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