お墓にお花をお供えするという事は、植物の命の犠牲の上に成り立っています。 古代の熊襲の墓には、墓一周に、立て花が立てられた痕跡を感じます。 ところで、私は花屋を生業としていますので、毎日、たくさんの花の命を断ちます。 その生命を犠牲にしておいて、人の暮らしが豊かであると申しますのは、人の驕りなのでしょう。 生命を大切にしなければならないという事は、子供たちに伝える教育の基本でありますが、もう一つ、相反するようですが、生命を生けるという事も、私たち日本人の祖先が伝えてきた教育の基本です。 生けると申しますのは、地の生きとし生けるものの命をいただくという事です。 ただ、なぜ生け花は、天地人と生けるのかと申しますと、動物や植物、鉱物の命と人の命の地の繋がり、動物や植物、鉱物の霊と人の霊の繋がりの天を合わせた、天地を可能にしている実在の私に気づく道だからです。 天地万象に対して、人に優しさが芽生えますのも、この天地人の命の繋がりがあるためです。 ただ、私は優しい人間に属するという心の訴えへの隷属は、殺すものと殺されるものを分けて認識したがる心の渇きでありまして、命、霊の繋がりを知る気づきの道からは遠のきます。
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