大洪水の禊ぎの後、芳船(ホウの芳は天神アンを奉じるのホウ)で生き残った彼らには、新たな試練が待っていました。 ノアの裸を見て恥ずかしいと思って、寝ているノアに服をかけた他の兄弟たちとは異なり、服をかけた息子を、なぜに、カナンは呪われよと、ノアは嘆いたのでしょう。 そもそも、禊ぎとは、新たに何かを獲得するものではなく、古へ、祖先への復帰です。 裸を恥ずかしいと思わなかったアダム(Doの成す、堰を造って農業をする日本語のトモ→ドモ→ダモ→ダムへの訛)とエバ(息、アバラ骨は発声により締められる母音)に帰るという事です。 それでカナンは、縄文時代のように争いを避けるので、他の兄弟たちに侵略され、暮らしに不便な所で、なんとか命を繋いで来ました。 他の兄弟の代表者のような、米のロックフェラー財団の御曹司のエンブリ一博士を、球磨の阿蘇谷の爺さんが、日本に戦争を仕掛けようとしていた米国から来た人にも関わらず守りましたのは、カナンが呪われよの終焉は、他の兄弟たちによってもたらされる事を、口伝していたからです。 ほんとうに呪われ、自ら牢獄には入っていたのは、カナンではなく、他の兄弟たちだったのです。 私自身、爺さんから口伝しておりますので、世界の友に、古の約束通り、終焉する時が来たと申しております。 しかしながら、最後の禊ぎと重なり現れて参りますので、皆さま方のご忍耐と、ご自身の革命の挑戦次第となります。 エンブリ一博士は、高度な暮らしの文明を持っていたすえ村の人たちが、裸を恥ずかしいと思わなかった事に、まず大変驚きになられたそうです。 しかしながら、日本人は、裸で祭りをし、角力を取り、皆で風呂にもは入ります。 日本人としましては、当たり前だったのではありますが。 世界的な大戦争の中、遺跡が破壊される前に、失われたアークを探し出さねばならなかったロックフェラー財団の人たちに、日米の大戦後、日系人の人権回復に生涯をささげ、若くしてお亡くなりになられたエンブリ一博士の代わりに申しあげたい事は、未だに見つからないアーク(三種の神器)は、そもそも、探しても見つかりません。 なぜなら、すえ村の人たちが、何も探してはおられないように、元々、神のすえ子として、私たちに備わっている能力だからです。
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