top of page
yamato-567

古代人の気づき~私は在るのベルの目

日本人は、願いが成就いたしますと、達球磨に目を入れますね。 その目は、初めであり終わりである何かで、決して、生まれも死もない何かです。 この目をベルと申し、蘇りとは、ベルの気づきの復活という事です。 ですから、バベルの塔が建ちましたのは、ベルの気づきを失っていたからで、決して、神を冒涜して建てたわけではありません。 そのベルの蘇りは、12月18日~20日までの一番鳥が鳴く(冬至)までの三日間、12月21日の冬至(朱鶏、ケルビム、斑鳩)の当日、12月22日~24日の冬至後のキリスト(真理、気づき)の復活の三日間を合わせた一週間で、古代の冬至の祀りです。 それで、一週間は、バベルの塔から始まったと言われるのですが、バベルの塔のはるか以前の、縄文人(日本人)の祀りという事です。 目が刻まれた、超古代の日本の巨石だけでなく、神道や仏教の宗教を超えて、それを守ってきた庚申は、ベルの祀りです。 坂口実家の龍目も、生長を象徴する竹を冠する籠目から、竹取物語をして、成長(生まれて死ぬ)がない、龍目に至る気づきの象徴です。 神輿に乗る球磨理の目も、そのベルを示しています。 その球磨理と、トトロ(太陽神殿の雨宮)近くの、球磨の相良の叔父の家の、木材から手伝りの雉馬のデザインが似ているという不思議です。 アブラハムの故郷のウルのジッグラト、バベルの塔、古代の出雲大社などの模型の写真は、お借りしています。



閲覧数:3回0件のコメント

最新記事

すべて表示

赤子

댓글


記事: Blog2_Post
bottom of page