海戦を得意とした平家(伊勢平氏)は、思いもよらぬ、船頭を射るという源義経の戦法と味方の裏切りにより、壇之浦で屈します。
平家の軍の象徴でありました平知盛は入水して潰えますが、その遺児は、九州山地の奥地の中の奥地、椎葉村に落ち延びたといわれています。
そこで那須を名乗り、後に人吉藩預りとなりました。
平とは、比日密土(ピラミッド)の比日でもありますが、岩戸山では、ダイラと呼びます。
それは変化する事のない、密である大日を意味します。
いろいろな政策はあると思いますが、平和とは、一人一人が大日である事に気づき、和した(大和となった)時の事を申すのかも知れません。
奈良は大和であり、那須の名は、平和でありました、古の日本の那日ムスに名の縁があります。
大和魂は、その自覚に留まるものを申すのではないでしょうか。
写真は、古の那曰ムスと同じように、焼き畑農業が今も続きます、椎葉村の農の祀りの景色です。
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