日本の比日仁育を明かすもの
海運による莫大な財と、それにともなう軍事力を持つツロのヒラム(日本語では比羅夫)王が、なぜに、自らの国まで領土を広げるダビデ王を、助ける必要があったのでしょう。 ちょうど、日本の海軍を束ねた安曇(津見)野比羅夫が、祖先の地の筑紫を占有され、朝倉の宮を置かれながら、天皇と百済...
日本(ヤマト)の方向性
縄文時代、争いのなかった平和な縄文人の精神と英知を学びます。
世界文明の起源である日本の古代より伝わる真理を学び
争いの元となる隷属の観念から離脱し、真の自律を調和の中に
見出す。
経済優先の唯物主義を手放したところにある「目に映らないもの」に気付き、調和を尊ぶ日本社会実現を共に目指しませんか?
海運による莫大な財と、それにともなう軍事力を持つツロのヒラム(日本語では比羅夫)王が、なぜに、自らの国まで領土を広げるダビデ王を、助ける必要があったのでしょう。 ちょうど、日本の海軍を束ねた安曇(津見)野比羅夫が、祖先の地の筑紫を占有され、朝倉の宮を置かれながら、天皇と百済...
迦那安平安京の門は閉められていましたので、イエスは、この門は開けておきなさいと申しました。 人の都合で、神の門が締められていたからです。 古代からの集安の門も、中世からの安芸の門も、日本平安京の門も、開かれてきました。 天神アンの門は、私たちが、親神の願いに生きるのかの要の...
細川幽斎が古今伝授者だったとは申せ、御所(天皇家)伝授であります、日本の国体そのものであります古今伝授の間が、熊本に移築される事に、反対はあったと思います。 しかしながら、水前寺成趣園(出水神社)に移築された背景には、古代の日本の歴史の復興の意味もあったのだと思われます。...
大洪水を伝える、エデンの園、ノアの方舟の元の話のウトナビシュティム、ティルムンにも、七は重要な数字として出て参ります。 ところで、七草粥で知られる、1月7日の舎那蒼(七草、美しい景色)は、13000年前の太平洋での大津波後、季節をまたいで雨が降り続き、その過酷な環境が終わり...
戦争は、以前から始まっていたとも申せます。 それでも、日本を含めた関係各国が、暮らしていけましたのは、陰ながらの外交努力はあった事でしょう。 ただ、これまでの外交努力とは異なる次元となりましたのは、友好的な日本の外交も、報復を受け、大戦争に発展しかねない緊張した状態です。...
FBの友との拝ヶ石登山が中止となり、時間ができましたので、熊山に登りました。 熊山は、芳三山の二ノ岳で、熊本の中の熊本、13000年以前の先史の世界文明の、比日仁育(一字で熊)での大津波から生き延びた人たちが奉(ホウは芳)じた山です。...
仏教では、仏に、仏法に、帰依するという言葉があります。 南無でもありますが、帰依するという事は、それまで離れていたという表現になります。 ところで、法華経の長者窮子の話では、災いで幼期に離れ離れになってしまい、親子である事どころか、人も信じられない子が、扮装した長者に助けら...
日本の古代史が混乱いたしましたのは、古代は、九州と半島が一つの平和な国でありましたのに、大陸や半島の侵略勢力が台頭し、鉄などの資源争いなどから、半島は争乱の地となり、九州も危険となった事です。 そのため、より安全な大和に、政治の中心は移りました。...
海戦を得意とした平家(伊勢平氏)は、思いもよらぬ、船頭を射るという源義経の戦法と味方の裏切りにより、壇之浦で屈します。 平家の軍の象徴でありました平知盛は入水して潰えますが、その遺児は、九州山地の奥地の中の奥地、椎葉村に落ち延びたといわれています。...
大洪水の禊ぎの後、芳船(ホウの芳は天神アンを奉じるのホウ)で生き残った彼らには、新たな試練が待っていました。 ノアの裸を見て恥ずかしいと思って、寝ているノアに服をかけた他の兄弟たちとは異なり、服をかけた息子を、なぜに、カナンは呪われよと、ノアは嘆いたのでしょう。...
写真は、仁川のどこかの警察署の署長をしながら、韓半島の歴史調査をしていた大伯父が持ち帰った、韓国のよくある農村の風景です。 稲作が日本から伝えられた事がようやく明らかになってきていますが、一方、韓国の農事は、今の日本では忘れられた、私たちの祖先が残していったものがあると、大...
ヤマト熊本でのありがたいご縁を頂き 武内先生の『ペトログリフが明かす超古代文明の起源』にそって熊本を紐解いております。 昨日の奈我神社に続いて海洋民族が大火山阿蘇を目指し白川を遡ったように、今日は揺ヶ池や塩井社をたずねてまいりました。...
危険という警鐘も、危険という言葉だけに尾ひれが付いて、かえって混乱を招きますので、慎重に話さなければなりませんが、日本の中央構造線が、世界で最も知られる地震の巣であり危険である事は、皆さん方もご存じの事だと思います。 それは、ある意味、言霊の幸給う国という事と、相関関係にあ...
冬至の日の光は、熊本の拝ヶ石巨石群の熊山から、日光東照宮へと抜けます。 その地下は、中央構造帯でもあります。 日本列島そのものが龍体でありますのは、冬至の光の法の雨と、地下の技合いが一体だからです。 ですから、神州であるがゆえに、災害も多いというわけです。...
熊本が火の国と呼ばれます一面は、火の祀りが各地である事です。 それと共に、セイバルや高遊原など、バル(原)という地名も多く、聖徳太子の自作の仏像が残る近所の寺を開基した日羅などは、このバルの火鳥(斑鳩)を太子に教えたのでしょう。...
東端海の鹿島神宮と、西端海の近津鹿島神社を結ぶ中央構造帯は、地震の巣でもあります。 それを鎮めるために、近代的地震観測などなかった昔に、日本の東西に、鹿島神社は建てられました。 不思議な事に、ポツダムでの世界的な近代的地震観測は、明治に、この近津鹿島神社のすぐ上で起こりまし...
日本人は、願いが成就いたしますと、達球磨に目を入れますね。 その目は、初めであり終わりである何かで、決して、生まれも死もない何かです。 この目をベルと申し、蘇りとは、ベルの気づきの復活という事です。 ですから、バベルの塔が建ちましたのは、ベルの気づきを失っていたからで、決し...
何度も申しておりますが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、日本人にとりましては、異教ではありません。 それは数万年と繋がれた縄文文明の支流です。 仏教の元となったサカ族も、メソポタミアのサカ族系なのかは、今もなお歴史認識の割れるところですが、元は、ユーフラテス(ウトゥ)川...
熊本阿蘇から福岡に降りて、鉄の文明を広めた第二代綏靖天皇(金凝、金栗四三の祖)の兄の神八井耳命の子か孫の健磐龍命は、阿蘇を蹴破り、阿蘇に治世を敷きました。 蹴破りとは、洪水の事でもありますが、ここでは、糖(トモ)を築き田畑を開く事です。...
本日は、超古代文明の起源の著者で、日本巨石文化研究所の、武内一忠所長のお話しを、日本(ヤマト)熊本支部のメンバーでお聞かせいただきました。 その世界文明の始まりから今に至るまで、最も関わってきた日本人として、私たちには、混乱し、破滅に向かいつつある今の世界を、縄文期の平和な...