日本の比日仁育を明かすもの
- yamato-567
- 2021年1月13日
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海運による莫大な財と、それにともなう軍事力を持つツロのヒラム(日本語では比羅夫)王が、なぜに、自らの国まで領土を広げるダビデ王を、助ける必要があったのでしょう。
ちょうど、日本の海軍を束ねた安曇(津見)野比羅夫が、祖先の地の筑紫を占有され、朝倉の宮を置かれながら、天皇と百済の窮地を救うため、唐と新羅連合軍との、命がけの海戦に出た事に似ています。
また、ラバンの娘のレアとラケルの聖書での話は、ヤコブ(イスラエル)との結婚の話ですので重要であるのですが、大津見神の娘のコノハナサクヤヒメ、イワナガヒメと天孫降臨のニニギの結婚の話は、日本では重要でありますが、この二つの話は、妹を欲しがりながら、姉を先にせねばならないという同じ展開です。
この展開は、北極星が琴座にあり、大津波があった13000年の昔の比日仁育(琴比日)まで遡ります。
その琴比日(琴平、金比羅、金は迦那伽耶)の船こそ、ノアの方舟です。
後世には戦争や侵略から逃れて来た船でもあります。
結論を申しますと、父方(ヤコブ、ダビデ王、ニニギ)と母方(ラバン、ヒラム、大山津見→クヌ(鹿屋、伽耶)→大国主)の違いというだけで、父母あっての命の繋がりですから、母方だからと、家を乗っ取られたとお嘆きになる必要はございません。
因みに、安曇(津見)の岩戸山の麓のダイラは、平と記します。
熊本の巨石が姫戸の矢岳→岩戸・拝ヶ石→押戸石と戸が並びますのも、坂口の産土神の厳島神社の安芸の厳島神社を奉じた平清盛(清は迦那安のツロではシーの海)が神戸(福原、原は迦那安のバル)を都としましたのも繋がります。(ユタの愛加那の本名が戸間金なのも同じ、戸は天岩戸、境木→榊木)
写真は、私が13000年前の日本の比日仁育を明かすものの証として撮れた、木花咲伽耶比売(木花知流比日夫売、売は嫁ぐ意、継乙女→坂口の祖母の名の由来)と握る弓矢です。

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