鰐により血祭りとなる因幡の白兎こそ、私たちの祖先(大狗奴主、狗奴は国の語源)が、祭政事をするものの姿勢をみせたものです
- yamato-567
- 2020年11月11日
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2万7000年前の石垣島の人骨は、それまでの出土の骨とは異なる、あきらかに体格が良い骨でした。
そして、外耳道骨腫がみられています。
私自身も同じ症状ですが、鰐や鮫が、今と比べものにならない程いた古代に、川海に潜っていた証拠が、外耳道骨腫という形で現れています。
大陸では、河海に潜るものは日本人という事から、日本人の暮らしが、いかに驚くべき事であったのだろうかという事です。
また、潜る事での効用は、息苦しさを知るという事です。
その息苦しさは、生かそうとするはたらきに、抵抗して起きているわけです。
それで、逆接的に、生かそうとする意志に気づくわけです。
そこで、縄文人の骨に、争った形跡がないのは、勇気がなかったからではない事、息苦しさを知らせる神との交流で、石笛(潜る時にはト笛)を使っていた文明があった事を、申しあげておきたいと思います。
宇土の曾畑貝塚の石笛の発見は、その古さと精巧さから、世界を驚かせましたが、まさに、聖書以前の宗教歴史を知るうえで、日本は宝の山です。
ところで、私のプロフィール写真は、鰐洞という海岸で撮られた写真ですが、その立っている所が、鹿島の祖神が現れになられた所です。
ちょうど聖書のイエスのように、人を生き返らせていた(岡山県の継の伝承)、熊本の火の君の一族は、古代に、茨城県まで渡り、その中に、中臣(藤原、紫花は竺紫)氏の祖先がいたわけです。
なんで海の中かと申しますと、一族の首長を決めるため、自ら血を流し、鮫(鰐)をおびき寄せ、そして、命があったものが首長になったという事です。
現代でそのような選挙をいたしましたら、どなたも立候補はなされないでしょう。
私もそのような挑戦はいたしませんが、鮫の子を捕まえて、酢味噌で食べていた頃は、大人の鮫が来る可能性があった中で、怖いとは思わなかった少年時代を思い出します。
ところで、鰐洞と同じように、鰐のつく地名は、熊本市内から、山都町の幣立神宮へ向かう途中にも、鰐瀬という地名であります。
最近の研究では、鰐という地名が、古代ユダヤの支族との関連性があるのではという、研究もなされているそうです。
ところで、私たちが、いざという時に額に巻く鉢巻きは、兜を被る時にも役に立つものですが、修験者が、水汲みなどに使っていた頭襟は、元々は、顔面の入れ墨と共に、潜る時のための道具ではなかったかと考えています。
その修験者の頸襟と、ユダヤ人にとってはかかせない、聖句箱を巻く鉢巻きが、似ている事は驚きではないでしょうか。
修験者やユダヤの祭祀の写真など(石笛はレプリカ)は、お借りしています。

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