7300年前、火山活動により、九州では人が住めない状況となっていました。 多くの人は、今は海から遠い聖書6000年以前の舟着き場(烏奴那)から脱出しました。 その脱出により、韓半島や沖縄で出土する熊本の宇土(古代は烏奴)の曾畑土器が、今のところ、世界でもっとも古い遠洋航海の証明とされています。 その櫛目紋に似た土器が黒海などでも出土していますが、後世のアブラハムの出自のメソポタミアのウルのギルガメッシュ王は、東の果ての悪魔の海を渡った先にある洪水伝説の仙人(ウトナビィシュティム)を探します。 さらに後世の預言者イザヤが示した東海の島山も、このアブラハムの生地での話だと思われます。 その烏奴那(烏土の宮)がある鰐洞(鰐は鮫の事で北極星の形)として祀っていました。 古代は北極星(マンナ米八幡神)がヤハウェ(エホバ)の神だったんです。 また、桜の仲間(アーモンドや梅)の枝の杖(アロンの杖)を持つものが祭祀者(レビ)といわれ、なぜモーセが桜の杖を持っていたのかは、桜が自生する土地は肥えていて、食いっぱぐれがないからです。 その杖の柄先の石(10000年ぐらい前の磨製石器)が坂口の実家にあります。 烏奴那は干満差が大きく、それが海を聖別する神の業だとされ、祭祀者がそれを真似たのです。 また、モーセが神について供えた種なしパンは、野生米(まんま→マンナ)でついた餅です。 更には、モーセが赤子の時に流されたのは、祖父の姉の時まで赤子の時に川に流されていた今はひな祭り(皇室では雛人形流し)ですね。 皆さま方の中には、橋の下で拾ってきたとご両親様からお聞きになられた方もおいでだと思いますが、日本の風習だったわけです。 その橋の下の近くに、天の鳥船(生け贄台)があります。 皇室の一般では葬儀に当る祭祀は鳥船(アブラハムのイサク献祭)ですね。 ところで、イエスは生きて脱出したがゆえに子孫がいます。 その子孫が中心となって建国されたのが太秦(秦はローマの事)です。 西は中東から東は韓半島に至るまで影響を及ぼした国でありましたが、奴隷を解放し、敵であったものを殺さずに国が大きくなりましたが、裏切りにより滅びました。 一方、聖書を二度も編纂した(ニケア会議で書き換えた)キリスト教国家ローマは、奴隷を増やし、十字軍などは、異端とされた原始キリスト教を迫害し殺害したのです。 その東端の辰(秦)韓の外交屋敷跡地に建てられた神社の磐座は、火と水のバプテスマを示しています。 その神社の下の坂口の実家の畑の名が弓月なのは、畑下の海岸から上陸したイエスの子孫のマークであったからです。 ただ、太秦の天后自ら重労働に従事した養蚕は、日本の皇后陛下に受け継がれています。 皇后陛下の絹は、正倉院のシルクロードの宝物などの修復に当てられているそうです。 ところで、ヤコブは天使との相撲で勝利するわけですが、その相撲は、古代は墓前で行われていました。 相撲での型(特に烏奴の海である不知火型)は、寄せては返し霊を掴む型です。 それで霊の再生場であった墓は相撲場であったわけです。 熊本の吉田司家が祭祀していましたが、中世からも相撲は神事でありましたね。 ところで、七五三の髪(神)置き紐解きで示されますように、霊は掴んでは離し結び直しながら、人(霊止)の再生が完成していくわけです。 日本人は単に霊とは申さず霊魂と申しますのは、掴む魂(レコーダー)が霊(レコード)には必要だからです。 スポーツで申しますと、チームが魂で、選手が霊で、その選手のトレードの仕組み(型)が相撲というわけです。 また、古代の相撲はスマイと申しましたが、す舞い(住)のすが、聖書で云う初めに言葉ありきのす声ですね。 対称性(タァ)、駆け抜ける讃岐(カァ)、神の顕彰(アァ)、丸く張り詰め(マァ)、八幡(ヤハウェ)の方向性の米(マンナ)のハァ)、締めの〆縄(縄文螺旋回転)のラァ)のタカアマハラ(高天原)がす声です。 また、す声は、すぅずぅう(鈴宇)→うちゅう(う声は日本語では全ての動詞の〆、初めであり終わりである示し)と宇宙開闢いたします。 本日の投稿の証の品は、これまでの坂口の投稿をご参照されて下さい。 写真は、赤子から雛人形に変わった後も、雛人形はお焚き上げされていましたので残らず、その代わりに掛けられた実家の掛け軸です。
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