沖縄では最古(5500年前)の赤色顔料がサキタリ洞で見つかっていますが、伊礼原の曽畑土器からも微量の赤色顔料がみつかっていますので、当然の結果だと思います。 縄文時代に熊本の宇土から沖縄へ運ばれた曽畑土器ですが、後世の古墳時代にも、熊本各地で、赤色壁が目を引きます。 そして、宇土から吉備や大和に運ばれた巨石(馬門石)もやはり、赤色です。 そもそも、千人で運ぶ巨石でありますから、船も大型でなければならず、造船力が神武東征を可能にしたのではないでしょうか。 縄文時代に北は韓半島、南は沖縄と土器を運んだ船も、ある程度の大きさがなければ、ましてや葦船では無理です。 沖縄北谷町の日本最大の海底遺跡らしきものは、曽畑土器を北谷町へ運んだ宇土の民が関わっていたのかも知れません。 なぜなら、今でも海中の神殿を祀る火の国まつりだからです。 また、赤ちゃんと申しますように、生まれ変わり(蘇り)への関心は、古代からあったのだと思います。 写真は、サキタリ洞の赤色顔料が付いた土器です。

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