魂霊、魄令の二つの俵を可能にする大風呂敷(白神)
- yamato-567
- 2020年10月24日
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霊性を実感、もしくは信じておいでの方に、霊とその入れものの魂(巳黒神)は、あまり説明がいらないと察しますが、説明が困難でありますのは、令(物)の入れものの魄(大黒神)です。
肉体の事と認識しておいでだと察しますが、最も近い表現で申しますと、この大宇宙の外形の事です。
人の特性としての魂魄と、日本人は申して参りましたが、実際には、この考えも及ばない大宇宙が、私の入れものの片面(片仮名)だとは、どなたも呆れになると思いますが、私たちの祖先が阿呆とは申しませんが、その阿呆にならないと、魄のしっぽもつかめません。
ところで、どのように小さなTVでも、広大な大自然を映し出しますし、荘大な宇宙の映像も見る事ができます。 TVの中に現実の宇宙がは入っていると思う人はいないと思いますが、TVに映る宇宙は、宇宙の姿だと認識しておいでです。 されど、皆さん方は、魄の中に、現実の宇宙がは入っているわけないだろうという所で思考は停止しなされて、そこで否定なさるのです。 常識は、片仮名の目で見ていますので、真名の目で観る事が、妙見(おかしな見識)にしか映りません。 それでも、古代の巨石人たちは、妙見なるものを信じ、天神の教えを示すものとして祀って参りました。 ちなみに、インディアン(ネイティヴアメリカン)は、魂魄を真名の目で語る、伝説の白神(縄文日本人)を待っていたのですが、残念ながら、白人移民と勘違いしたのです。 写真は、宇宙の中の私と私の中の宇宙を俵(二天)で示し、現れの私は大袋の中(中主)にいるので、その仕組みがわからないという、大黒さまです。 ちなみに、古今の歌の修行の場の、岩戸山の鼓ヶ滝は、大黒さまの打ち出の小槌で胎動する宇宙の元の大袋(天之御中主)という事です。 写真は、お借りしています。

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