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高砂やの、古今の歌詠みの背景

  • yamato-567
  • 2020年11月9日
  • 読了時間: 2分

高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろ共に出汐の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖こえて はや住の江につきにけり はや住の江につきにけり

熊本の阿蘇の神官が、兵庫の高砂に舟で渡った、世阿弥の能楽ですが、これは、古今集の仮名序を元としています。

かくしつつ よをやつくさむ たかさごの をのにたてる まつならなくに

たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに

ところで、古今の歌に仮名序(八方鏡)がありますのは、読みやすいからではなくて、平の仮名一文字一文字に、すでに八方位の意味があり、一般的な訳とは異なるからです。

また、真名序(神鏡)は、霊と令の片道の仮名となる宇宙秩序を超えて詠まれたものです。

平の片仮名、真名(実在)の気づきの高度な文明があったかなかったかの議論以前に、一時、白村江などで日本が敗れた時は、天皇をお守りするため、五摂家などに渡りましたが、古今伝授はなされ、細川幽斎が智仁親王に伝授してからは、御所伝授となっています。

一般的には、熊本の水前寺成趣園の古今伝授の間で、日本の雛型の景色を眺めながら、いきなり団子を食べるしかありませんが、超古代の文明は、確かに、日本の文明で、今も生きているのです。

写真は、今は海からは遠いのですが、6000年前の縄文海進の時代の船着き場があった平です。

この時代、宇土からは、半島の釜山(今の韓国人が住んでいなかった時代)や沖縄への渡行が、土器で証明されていますので、中世の兵庫への渡行は、より容易であったと考えています。

そして、平は、金芳山の麓でありますので、契丹古伝では、鳥人族といわれたお伽話の伽那(金)人の故郷です。

歌詠みは、伽那人が広めたと申しましても過言ではありません。

京からも、熊本まで、わざわざ歌詠みの修行に来られていたからです。

断崖絶壁の上の小さな石の上で歌を詠む修行は、まさに命がけでした。

それも、命がけの航海をしていたので、出来た事かも知れません。

歌詠み場は、平から500m程登った所です。

写真の石の片仮名の膨らみは、息(呼吸)を表現していると考えています。


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