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霊性とは何か。優れているという比較ではない事は確かです。

  • yamato-567
  • 2020年8月26日
  • 読了時間: 2分

ロックフェラー財団が、戦前戦後の長きに渡って調査した球磨の阿蘇谷には、日本人には当たり前ではありますが、古代語が墓石となって、所狭しと建っていました。

伯父の太忠のー家代々だけで、270基以上(完全に崩れているものは数えず)あります。

生まれながらの本籍地が、五輪書が記された地近くであった父は、この墓石は、地元の拝ヶ石の巨石と同じ意味を感じると申しておりました。

そもそも、ヤマト町のアヒルクサ文字の出自も、すぐ南の、求麻(球磨の古名)から麻の栽培を習ったものでした。

球磨は迦耶(舎→人吉)ですが、私が産まれ育った、町の大部分が石積みの河内も迦那地で同じでした。

藤原(中臣)氏の祖先の地(茨城に渡る前)でもあります。

それで坂口の長男は、古代の火の君の道をたどって、茨城に参りました。

話は戻りますが、父母が、熊本の天明の地で出会った事で、その謎が埋まっていったのです。

それでは、その大元の大元は、どこかと申しますと、那日息比日仁育(ナラムスヒラヱプラ)という日本より南の島々(儀来河内、ニライカナイ)です。

冗談のようですが、結んで開いて(○+。)という名です。

これを形に表現いたしますと、縄文螺旋回転の渦となります。

火の君の墓、岩戸山の阿雲、日本(ヤマト)の神紋の波形です。

鹿島大神が現れになられた海(鰐洞、アマビエの場所)での坂口のプロフィール写真も同じ飛沫紋が現れています。

口伝者として、その迦那人が持っていた教えを、日々の投稿に載せています。

ところで、そもそもですが、迦那人には、攻めくるものとは戦いますが、憎しみを集め広めて、自らがその頭になって復讐しようなどという考えはありません。

それで、ノアが、カナンは呪われると申しましたように、世界の奥地に追いやられてきたのです。

日本人は、その迦那人の血と教えをひいているように思います。

ところで、ロックフェラーが、日本に対して、敵国であるがゆえの戦いを挑んだのは当然の事です。

戦中戦後のアメリカでの日本人が酷い扱いを受けた事も事実です。

そのロックフェラー財団の御曹司が、日本人は殺せの大合唱を、日本人の名誉や土地を回復し、日本人は友人に変えていく活動に生涯をかけておられるのです。

わざわざ憎しみを煽る必要はありません。

私たち日本人には、殺し合い、敵国であった人たちをも、友人にする力があるのです。

それを霊性といわずして、何を霊性とおっしゃるのでしょう。


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