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難波津に咲く耶木花

  • yamato-567
  • 2020年6月24日
  • 読了時間: 2分

難波津に

咲く耶木花

冬籠もり

今は春辺と

咲く耶木花

      王仁


古今の仮名序の歌ですが、あえて、意味が伝わるように漢字で書いています。

私の投稿のキーワードであります木花咲耶(666→369→666)と、冬(ふゆる、冬至の復活)、籠目、折張金比羅の五十音辺(春辺)などが生かされている歌です。

古今伝授の話をしているものとして、何時かは話をしなければならなかったのですが、誤解を受けやすいので、慎重にならざるを得ません。

この歌により、韓国では、韓国から日本に文化が伝わり、仮名文字さえも教えたと誇りにされています。

韓国では、大大的に教育されていますが、真実を知る、韓国の歴史学者の方々は、胸が痛まれないのでしょうか。

当の日本人も、お人好しと申しますか、日韓友好のためと碑を立てたり、カルタ大会や、歌会などのセレモニーの歌として使われています。

ところが、日韓友好のためには残念ですが、百済の王朝でさえも、日系人であるのですが、この歌の王仁は漢氏で、韓国人ではありません。

応神天皇は、同族であるので、呼び寄せられたのです。

ところで、半島との外交拠点が置かれていた、有明海に面した、私の産土神の神社(河内船津厳島神社)の話をいたしましたが、難波津とは、歌碑が建てられています、大阪の河内だけでなく、熊本の河内である、古今の歌詠みの修行の場でもあるのです。

ところで、私の祖母の姉は、豊香と申し、その名に、古の豊の国のーの宮の、香春神社の秘密が秘められていました。

今は、豊国ーの宮は、宇佐神宮(有明海での大型船の設計図を書いた方々)ですが、その大元が、熊本の菱形池だといくつもの文献にもありますのに、尊重されませんのは、宇佐神宮は八幡社の総本社であり、それは、秦氏となってしまっている事と関係があります。

実は、祀られるのは、応神天皇や王仁の漢氏でしたが、その偉業を支え建造したのが秦氏という事です。

写真は、河内の芳山にあります、漢氏阿智王を祀る社殿と、芳山を越えた所にある菱形池です。

香春を暗示する、古今集、春42の紀貫之の歌の写真は、お借りしています。



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