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隼炎神とモーセとナルメルに繋がる那人(海幸彦、隼人)

  • yamato-567
  • 2020年10月17日
  • 読了時間: 2分

幼少期に、橋の下から拾われて来たと、ご両親様から聞かされたあなたは、その時はショックであられたのでしょうが、それは昔の日本(那日、ナラ)人の、一度執着を捨てて、神の子として神からいただき直すという風習でした。

ところで、那入川で、流し雛の途中で拾われたモーセは、はたして、エジプトの王朝にとって、異質な存在であったのでしょうか。

モーセは、出エジプトでの荒野の中でも、マンナ(まんま、野生米)のありかを、鳥の習性から知り、白い種(イースト)なしパンという鏡餅をついて神に供えています。

また、潮の干満、干潟に現れる固い道、一瞬にして襲われる離岸流を知る、何万年も河海で暮らしてきた、まるで日本人のようです。

ところで、エジプトの初代ファラオのナルメルは、鯰の頭でした。

那を統メルという暗示の名と、想念に支配されない鯰という教訓を、身に付けていました。

そして、太陽神ラーに会うためには舟が必要で、ホルス隼炎神として祀られる神の名も、海幸彦の隼人日本人の、暗示があるのではないでしょうか。

さらには、生者と死者と分けた両国は、神伝(古事記)でもありますし、相撲や、球磨川を挟んで人吉青井阿蘇神社の青龍(鶴)と八代神社妙見宮の亀蛇(亀)の祀り方にも似ています。

舟に乗るアオサギも、昨年は私の足元にも飛来しましたが、岸辺の舟に止まるアオサギは、日本によくある風景です。

太陽神ラーは、太古に世界に先がけて、人を助ける文明を持っていた縄文日本人ではないかと考えています。

写真は、ラという発声の、ダイラの6000年以前の舟着き場と、流し雛の間に飾られた掛け軸です。

そこから登ったスワラ(スハラ、須原)は、私が小学生の時まで、本籍地だった所です。

サハラ砂漠と一字違いです。

足元にいたアオサギは、私が欲を出したために、シャッターを押す時に逃げられました。

ナルメルなどのエジプトの写真は、お借りしています。



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