迦那人の偶像崇拝とは何か~〆シ家と釈迦生誕像の謎
- yamato-567
- 2021年1月26日
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世界宗教の祖先的バル神信仰は、偶像崇拝として、後世には忌み嫌われて参ります。 しかしながら、皮肉な事に、我が神こそが正義という、宗教戦争による殺戮と侵略は増えてきたのです。 ところで、偶像崇拝とは何かですが、見るものと見られるものに分けた世界を、実在として崇拝する事です。 神であろうが正義であろうが、相対する世界は、偶像でしかないのです。 それでは、偶像でないのは何かですが、世界と現れるものを火といたしますと、世界と現れない何かであり、それでいて火を可能にする何かという事です。 その何かでは、私の投稿のように、さっぱりわからないとなりますので、火を可能にしている油(火の元)を示しとして、〆シ家に注いだのです。 日本は、その火の元を日本として国名としています。 さらには、その油は、羊などに付く害虫除けでありましたので、〆シヤは子羊であり、皆さま方に知らせるための生け贄(アマビエ)です。 写真は、冬至の七日間、七つの階段を昇り蘇る天上天下(迦耶の人吉球磨弁で天凝アモイ)を示すバアル神(迦那神)と、七歩歩いて天上天下を示したゴータマ(迦那牛王)の釈迦生誕像との比較です。 直接見れる七つの階段は、古事記でのナギナミ尊の黄泉の国の話の現場として、熊襲(耶蘇)の穴の、熊本の玉名和水のセイバルの、トンカラリンの駐車場すぐ裏にあります。

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