日本で最も装飾古墳が集中する、玉名和水のセイバル(マヤ文明の都と同じ名)のトンカラリン周辺では、謎の地下トンネルがいくつも見つかっています。 そのトンカラリンの寸法は、玄室に至るピラミッドの地下構造とほぼ同じで、さらには、ピラミッドと同じ工法ではないかという事です。 まさに、地底人のDNAですね。 また、地下穴のシャンシャン(三三くぐり)は、神社の参道参拝の原形であり、シャングリ・ラです。 その地底人のように、ヒッタイトが造った地下トンネルが、カッパドキアです。 ダビデの妻(ソロモンの母)はヒッタイトですが、イエスの初期の信仰者の数千人が、ローマの迫害からこの地下に逃れて、後に景教として日本に関わってくるのです。 ところで、拝ヶ石巨石群で景行天皇が祈られていたという話は、景教徒の教皇(景皇→景行)のミサではないかと考えています。 しかも、私が育ったタタラの水の双獅子は、ヒッタイトの社殿であり、それは後世には、皆さま方も目になさる神社の獅子と狛犬となるのですが、エルサレムの市章、ユダヤの王族の王章でもあるのです。 タタラ水の双獅子は、イースターの満月の夜に浮かび上がります。(カメラのフラッシュでも可) 渡来人が上陸した、日本の西海岸での話が秘められていたため(幾人かの口伝者が、筑紫王朝が滅びた福岡の岩戸山の磐井の乱前後に死亡のため)、日本の古代史は、謎多きものとなっていました。 白村江での世界大戦後に、日本の古代文明が失われたとも言われますが、すでに大戦前の朝倉の宮への遷都により、その多くは失われていたのです。 その失われた日本を復活させるために、拝ヶ石山の近くの玉名小天の神在所に、筑紫の宮、小天天子宮が建てられました。 祖母は、天子宮が移築された宮前で生まれています。 私が生まれた熊本の岩戸山では、古代日本の秘密を知ろうと、奈良(大和)や京から、多くの教養人が訪れます。 その落ちたら即死の決死の修業の場となりましたのが、鼓ヶ滝の断崖絶壁上の、小さな石の歌詠み場です。 この歌詠みがなければ、古事記の真意は紐解けないとされ、古今伝授として体系化され、細川幽斎が智仁親王に伝授してからは、御所天皇家伝授となり、日本の霊統は、今も受け継がれています。 近世になって、京にあった古今伝授の間は、熊本の水前寺成趣園に移築されますが、その水前寺の名こそ、筑紫の宮、小天天子宮の名だったのです。 皆さま方もご存知かも知れませんが、小天からは対岸の、同じ筑紫(フキア)人の、武雄の内宿禰が伝承した日本の形は世界の雛型という話などは、超古代から続く筑紫小天(大海、迦那)人の口伝の一部に過ぎません。 水前寺成趣園は、熊本城に次ぐ熊本観光の名所ですが、日本の形(日迦那型)である事は、皆さま方のご覧の通りです。 25年前、偶然に借りる事となった店は、後にわかった事ですが、古代の水前寺の参道入口だったそうで、天神アン(天照大神)の道案内の猿田彦石の熊野宮があります。 そして、その猿女が踊る石が、トンカラリンの歯入り口(タンタン落とし)でもあるという繋がりです。
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