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yamato-567

辻褄が合わない日本の歴史の謎が秘められている御所の古今伝授と、その謎を埋める日本の西海岸の口伝

日本で最も装飾古墳が集中する、玉名和水のセイバル(マヤ文明の都と同じ名)のトンカラリン周辺では、謎の地下トンネルがいくつも見つかっています。 そのトンカラリンの寸法は、玄室に至るピラミッドの地下構造とほぼ同じで、さらには、ピラミッドと同じ工法ではないかという事です。 まさに、地底人のDNAですね。 また、地下穴のシャンシャン(三三くぐり)は、神社の参道参拝の原形であり、シャングリ・ラです。 その地底人のように、ヒッタイトが造った地下トンネルが、カッパドキアです。 ダビデの妻(ソロモンの母)はヒッタイトですが、イエスの初期の信仰者の数千人が、ローマの迫害からこの地下に逃れて、後に景教として日本に関わってくるのです。 ところで、拝ヶ石巨石群で景行天皇が祈られていたという話は、景教徒の教皇(景皇→景行)のミサではないかと考えています。 しかも、私が育ったタタラの水の双獅子は、ヒッタイトの社殿であり、それは後世には、皆さま方も目になさる神社の獅子と狛犬となるのですが、エルサレムの市章、ユダヤの王族の王章でもあるのです。 タタラ水の双獅子は、イースターの満月の夜に浮かび上がります。(カメラのフラッシュでも可) 渡来人が上陸した、日本の西海岸での話が秘められていたため(幾人かの口伝者が、筑紫王朝が滅びた福岡の岩戸山の磐井の乱前後に死亡のため)、日本の古代史は、謎多きものとなっていました。 白村江での世界大戦後に、日本の古代文明が失われたとも言われますが、すでに大戦前の朝倉の宮への遷都により、その多くは失われていたのです。 その失われた日本を復活させるために、拝ヶ石山の近くの玉名小天の神在所に、筑紫の宮、小天天子宮が建てられました。 祖母は、天子宮が移築された宮前で生まれています。 私が生まれた熊本の岩戸山では、古代日本の秘密を知ろうと、奈良(大和)や京から、多くの教養人が訪れます。 その落ちたら即死の決死の修業の場となりましたのが、鼓ヶ滝の断崖絶壁上の、小さな石の歌詠み場です。 この歌詠みがなければ、古事記の真意は紐解けないとされ、古今伝授として体系化され、細川幽斎が智仁親王に伝授してからは、御所天皇家伝授となり、日本の霊統は、今も受け継がれています。 近世になって、京にあった古今伝授の間は、熊本の水前寺成趣園に移築されますが、その水前寺の名こそ、筑紫の宮、小天天子宮の名だったのです。 皆さま方もご存知かも知れませんが、小天からは対岸の、同じ筑紫(フキア)人の、武雄の内宿禰が伝承した日本の形は世界の雛型という話などは、超古代から続く筑紫小天(大海、迦那)人の口伝の一部に過ぎません。 水前寺成趣園は、熊本城に次ぐ熊本観光の名所ですが、日本の形(日迦那型)である事は、皆さま方のご覧の通りです。 25年前、偶然に借りる事となった店は、後にわかった事ですが、古代の水前寺の参道入口だったそうで、天神アン(天照大神)の道案内の猿田彦石の熊野宮があります。 そして、その猿女が踊る石が、トンカラリンの歯入り口(タンタン落とし)でもあるという繋がりです。



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赤子

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