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諸葛亮孔明

  • yamato-567
  • 2020年11月8日
  • 読了時間: 2分

諸葛亮孔明には、三国志にみる大胆不敵な軍師というイメージより、実際に感じますのは、質素で謙虚で、ショー的でない、コツコツと政事をする日本的なイメージでありますのは、贅沢を恥とし、下士の人が貰うような給金と、僅かな土地の暮らしが真実だったからです。

四神と四瑞の教えと、太極と対極を魚と呼ぶ教えと、八卦村という名は、古の海人であった日本の教えに通じます。

天文学にも通じていた孔明は、占いに羽扇(諸葛の家伝、海の鳥族の行司、相撲の行司の元、天狗のうちわ)を駆使していました。

大陸の中の農業であれば天候に少し詳しければよく、しかしながら、潮目により夜通しで海に出る島に暮らす漁師にとって、星の運行の情報は命を守るうえで必至です。

それに八卦はシャーマンであるユタ(豊)ですが、その豊の名を持つ諸葛亮の祖先の諸葛豊は、実直(モッコス)で真面目であったため、皇帝の親戚を罪に問い、それがきっかけで官職をくびになっています。

琅邪諸葛亮という邪は蛇で、前漢に仕えた諸葛豊ですが、漢の末裔の劉備玄徳に、三顧の礼で迎えられ仕えた諸葛亮孔明でまた繋がります。

秦の始皇帝以前から、中国の開祖の教えが日本人だとする書物の撲滅は、元の漢人を乗っ取ったものによって続けられていたため、祖先の出自が途切れていました。

それゆえに、正史ではなく、古代の王は、今だに伝説の王なのです。

中国庶民が尊敬する王が日本人だと、今更でも言えないでしよう。

孔明の孔(穴に埋められた鳥の案示)という名の縁が、中国でやっと穏やかになり、儒教や道教は、その元の日本(海の鳥族)で、また花開くのです。


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