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yamato-567

蜘蛛貝をくれた縄文人と暮らした故郷の海

だいぶん以前の事ですが、普段は家族が食べる夕食の分しか魚を捕らない祖父が、村中に魚を配るほど捕ってきた、次の曰の朝亡くなりました。

魚が、自ら捕まりに来るとしか表現できない、海の神に愛された祖父でしたが、戸籍謄本原本が、アルバムのように分厚いものでした。

戸籍上は何度も死んでいて、その度に祖母と離婚と結婚となり、ややこしくなっていたのです。

ところで、中国の、欧米侵略者からの独立建国は、日本の支援なくして、成らなかったのですが、侵略者の分断策にはまった日中両国は、戦争へと突き進む事となります。

当然、支援していたものの子孫は、つらい立場になります。

祖父は、日本軍全滅の島へ何度も送られましたが、目の前のアメリカ兵も祖父に気づかず、捕虜にもならず、泳いで脱出しても鮫にも喰われず、生きていたのです。

一足早く帰って来られた、たった一人の戦友の方から、祖父の葬儀の通夜に、ロタ島の民間の曰本人を送ってから帰るとの知らせがありました。

写真は、祖父がくれた龍蛇のものが持つ、どこにでもあるクモ貝です。

ところが、龍の鱗とされる蝶貝(祖母の実家では、アコヤ貝で真珠の養殖をしていましたが、古い時代は蝶貝を加工していたそうです)とともに、後に発行され知る事となる、岩戸山龍伝説のパンフレットにも載っていました。



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赤子

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