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聖書の黙示録の、私は雲に乗ってくるの真意を伝えた、太秦景教の人たちと聖徳太子。

  • yamato-567
  • 2020年9月20日
  • 読了時間: 1分

散歩道にあり、いつも飼い犬同士で吠え合うので、そのまま引き返していたのですが、本日は、静かにお参りできました。

日羅と聖徳太子と道元を繋ぐ寺でもありますが、聖徳太子に、イエス生誕の厩戸王の名が付きましたのは、イエスの復活(再臨)を待ちわびていた人たちの思惑だったのだと思います。

ところで、イエスを迫害したローマが、国内の統治支配安定を狙うため、イエスが人々の罪の許しのために十字架に架かって、信じるものは救われるという教えを広めたと考えるのですが、それでも、救われたという実感がないため、救われたという完結と矛盾しているものの、再臨という教えが必要となったのです。

ところが、何も解決していないため、実は再臨は必要で、その再臨の真意は、雲に乗ってくるという暗示の、皆さま方ご自身のご認識の角力(相撲、角力斗雲)です。 ところで、臨兵闘者皆陣列在前という九字真言をご存じでしょうか。 それは、闘う兵は、すべて私の実在の前にある影だという事です。 ですから、影からしますと、実在は、後ろの正面という事になります。 写真は、私は在ると観る(観自在)の、富合杉島の観音寺と、仏教に隠れた景教(キリスト)徒が信仰した、岩戸観音山の飛雲仏です。






 
 
 

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