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繊月(人吉城)の由縁と、コバルトブルーの古代石

  • yamato-567
  • 2020年9月3日
  • 読了時間: 1分

水平線の終わりには、何があるというのでしょう。

ところで、人吉城は中世の城ではあるのですが、三日月城と名付けられた由縁は、人芳の古代石にあります。

父は、和人が月人と呼ばれるのは、葦船の形と、その葦草を刈る鎌の形を表現していたからではないかと申しておりました。

もちろん、月立ちの暦も、神道の月例祭も、歌詠みも、漁業も、月見の習慣も、月は日本人にとりまして、日本人とは何かを紐解く鍵であります。

1月11日の鏡おろしの鏡も、実は月で、日月の謎を解く数の並びです。

1月11日の人の種が蒔かれ、2月11日の茎(国)が立ち、3月11日、6月11日、9月11日の369の花と咲くまで、人の歩みの理法は、私たち雛トリにとって好きか嫌いか、吉か災いかという、受け取る側の感受を超えて、親トリのオノゴコォーロは、私が何であるかの気づきのためにはたらいています。

月と葦(吉)舟と葦(吉)鎌が、白入鹿と、折り張るされ鍛えられた鹿嶋の真剣となる、深い海の色の人吉の古代石と、海のトリトンの写真は、お借りしています。



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