幣立神宮の鑑石~神の子の言葉遣い
- yamato-567
- 2021年12月15日
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私たちは、呉服を和服として、民族衣装としています。 また、神道の装束や神具は、勾呉のものとそっくりです。 ところが、言葉遣いにおきましては、音(呉音など)読みと訓読みがあり、なぜ、音読みだけにならなかったのでしょう。 滅びた勾呉は、狗奴(人吉球磨)になりましたが、コウとクの発声は、実は微妙です。 また、狗奴が訛った国の発声は、コク(コッ)とクニとありますが、クナ(国後など)とクニとクヌというナ行を渡る(自由な、遊びがある)読み方をいたします。 これは、勾玉(真我)で反射された神言そのままを言葉遣いとする勾呉の神道に対して、狗奴の神道は、人が意味づけ(呪い、霊獣を遣わす→狗奴)をするという事です。 それで字数も増え、スピードも鈍くなるのです。 ところで、古代の韓半島は、世界各地から戻ってきた人たちの言葉遣いが混ざり多様化はいたしましたが、多くの移民は男性であったために、熊女(人吉球磨の女性)と結婚となり、ベースとしましての神代文字の元といいわれる人葦(葦茎那草文字)は、神の申シ示シを申し返す呪まな亀の人文字であります。 もし世界が、神の思いのままの世界であるのなら、何の驚きもない世界です。 その驚きの世界を表現いたしましたのが、日本語のルーツというわけです。 伊勢神宮などの古代文字のルーツでもあります。 ただ、自由を許して、あまりにも世が乱れてしまい、神そのままの言葉を受け止めようと挑戦いたしましたのが宇気比(烏誓)であり惟神です。 写真は、求麻(人吉球磨)の神道に習い、麻の生産を広めたヤマト町蘇陽の幣立神宮の鑑石です。

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