統治するものから、まつり事の釣り竿が渡される、統治されるものとなった事で、大和が成った
- yamato-567
- 2021年8月7日
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玉名(多婆那キ国)は、中国側からはイ国と発声されますので、倭は、委の当て字ではないかと考えています。
玉名から山鹿、菊池は、日本の歴史が失われている時代に、雄略天皇比定のものだけでなく、日本で、一番装飾古墳が出土している一帯でもあります。
しかしながら、熊襲が、今は、人吉球磨から高千穂周辺の狭い土地になりましたのは、特に、2500年前からの、大陸半島からの難民の流入により、次第に、統治が効かなくなったためと考えています。
古事記での熊襲征伐は、大陸半島からの、難民であったと考えています。
天孫降臨の地である高千穂が、阿蘇と球磨の先にある事、景行天皇は、玉名の先の山鹿(邪馬嘉国)に凱旋されている事、オウスは、耶蘇(八十、八磨土、熊襲タケル)から、名すべてを襲名して、ヤマトタケルとなっておられる事から、本当に征伐しておられたのか疑問です。
ただ、九州での大きな変わり目は、それまでの豊国一の宮でありました香春神社から、宇佐神宮に変わった事です。
祖母の姉は、その秘密を伝承するものとして、豊香(豊の国一の宮の香春)と名付けられました。
そして、熊本山都(蘇陽)の幣立神宮も、隠れ宮となった事です。
幣立神宮には、先史の時代、五色人部族間の争いを収めるために、神が遣わされた伝承がありますが、こちらの伝承を合わせますと、争いを、不平不満を平にするには、公平にする事が一番で、その方法としまして、争う部族間の若者同士を結ばせ、そこから産まれてくる赤子は、どの部族にも属さない王とするとした事でした。
私は、ここからが、五色(錦)織り成す百々(桃)人であります、日本人の始まりと考えています。
後世には、メソポタミア、長江、エジプト、インダス文明を始め、古代ユダヤ人でもあったと考えています。
人吉青井阿蘇神社も、いわば隠れ里です。
熊襲が、統治するものから、まつり事の釣り竿が渡される、統治されるものとなった事で、大和が成ったのです。
写真は、後世に球磨に移った(阿蘇→蘇陽→熊襲)菊池彦の、一族の祖先がいたと考えています、また、縄文早期、東北地方のものよりも、日本では最も古いのではないかと考えています、集石遺構の、無田原遺跡です。
三つ並びは、7000年前は、今よりも低く、近くに見えていて、存在感も大きかったとされる、オリオンの三津星にも見えます。

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