籠目の元の元のそのまた元の、迦那地のお伽話
- yamato-567
- 2021年1月20日
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アンマガショウにかけられていた吊り橋は、今はなくなりましたが、古代の海の縄文人にとりまして、葺き屋(後世の筑紫)の王が、天神アン(北極星)を祀るために、迦那地川を渡った道でありました。 なぜ岩戸山と申すのかは、今は太陽神がお隠れになった神話(天の岩戸)となっておりますが、元々(13000年以前)は、北極星(アン)が△ド(戸)を象徴し、琴座の時代の北極星も、龍座の時代の北極星も、天の川に消えた時期(隠れた)が続いたわけです。 それで、須原の祖先は、天の川を渡るという象徴として、迦那地川を渡ったわけです。 夜明けの番(つがい)とは、その北極星が、北極星(亀蛇、北)と鶴(津留→北極星が掬った水を受け止める柄杓星、北斗七星)の夫婦として現れた事を示しています。 水は大切でしたから。 それで、拝ヶ石(お亀石)の麓の河内町と天水町は、二つの町の口伝で意味が通じるのです。 坂口(カグチ)の祖父と祖母は、それぞれの口伝者でありました。 祖母は、私を、幼少期から少年期の七年、夜が明けない岩戸山へと連れ出しました。 ところで、天神アンが再び北天で輝き出したという話は、籠の鳥が出たという話でもありますが、それは、人が神の子である証を教えるものです。 皆さま方は、延びた影(誕生するもの)が実在だと認識しておられるかも知れませんが、真の実在は、延びる影の後ろの正面であり、垂(足)らされた影(帯)を可能にし(〆)ている何か(日足りし日子、影の始めであり終わりであるもの)という事です。 実家の黒石(龍目)が、なぜ目の形なのかは、鏡に映った虚像ではなく、その後ろの正面の実像に注目しなさいという事です。 そして、竹とは影の成長(安曇)の事ですが、その竹を取った話(安曇→安、籠目→龍目)が竹取物語(迦具土の姫は迦那地の比売)で、東海の龍の棲む島の口伝でもあります。 岩戸山の安曇の石は、その成長を示しているのですが、それは息長(おきな)であるため、翁(宇宙の中の私の烏と私の中の宇宙の烏という影の羽)なわけです。 また、スハラ(スワラ)を下った岩戸山の入口の平(ダイラ)に、ダイダラボッチ(一人ぼっち)がありますのは、その後ろの正面であるあなたの実在が、北天の天神アン(北極星)のように不動なる岩戸(不動岩、坐らすもの、回るものでない主人、はしら)であるという教えが込められています。

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