福岡の岩戸山の、筑紫の御子の竈門山から熊本の岩戸山への旅の終着駅。水の呼吸(耳、△▽、轟、獅子王)の復活祭
- yamato-567
- 2021年3月16日
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映写機(神の実在)の照射とスクリーン(私の実在)の反射の三三(耳)の結び(会話)で、世界は現れ(△▽→、△▽○△▽□、△▽○は環状列石の祭事、△▽□は比日密土の政事)ています。 この息合わせ(呼吸、△▽、耳)は阿吽で、天神アンの仕組みでもあります。 また、エデンの園(雷園殿、岩戸)とは、神の神在(車輪)と私の実在(車輪、菊花紋)により現れた車輪(アヌンナキ、会議、回教、盆踊り)による轟(トドロキ、トトロの森、雨宮、いかずち、雷)なのです。 エジプトのトト神(トキ鳥は△▽○、黒犬は△▽□)や、球磨のサガラのトトロの森などの古代の巨石文明は、このラィヱデン(エデンの園)に繋がっています。 聖書(迦那安書)が始まる6000年前以前の元々のエデンは、迦那地(河内)の町のスハラとダイラの中間のアンマガショウ(天神アンに渡す吊り橋)にあったと考えています。 今は迦那地の坂口の実家真横を流れています。 タタラ水は、正式には、肥後轟三水です。 復活祭の日(その年々の年の初めの満月の日、古代の年度始めは今の日本の年度初めと同じ)に、それまで木の根岩だったタタラ水の水神(呼吸合わせ)は、双獅子として月夜に浮かびあがります。 京を出て、歌を残した筑紫の竈門山の水門から各地の竈神社を経て、岩戸山にたどり着いた清原元輔(清少納言の父)は、このアンマガショウの吊り橋を渡り登った、歌詠み場で修行をしています。 ちなみに、エルサレムの市章であり、イエスやユダヤの王家が獅子王と呼ばれますのも、天神アンの秘密を口伝していたからではないかと考えています。

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