新嘗祭の今日、月はとても綺麗です。 種なしパン(お米)で餅つきをしたモーセと同じ月を見ながら、今、食がある事に、想いを馳せます。 モーセは、キカイカルデラによる災害で、世界に散った縄文人が、野生米を食べて生き残ってこれた事を、伝え聞いていたのかも知れません。 その事で、エジプトでの野生米(マナ)に助けられる事となります。 私たちの祖先は、一年以上にも渡り太陽さえも隠れ、元の環境に戻るのに千年もかかった、未曾有の大災害を生き延びたのです。 野生米であるまんま(マナ)が育っていたマナイの水が、新嘗祭では、献水されます。 私の実家では、タタラ水です。 日本人は、古代のさらに古代から、命の水の出処を、真那(名)井として祀ってきました。 そして、息が止まれば命が終わる、その命の出処の息をマナセ(セは瀬で生死の境)と申し、△▽○のストーンサークル、△▽□のピラミッドを息合わせた、△▽○△▽□の六芒(上円下方墳、マナセの壺)として、伝えてきました。 写真のタタラ水は、拝ヶ石巨石群がある芳三山(666m程の三ツ子の山)の、スフィンクスのような位置の山(ゴォーロ、365m)の、双獅子の戸間口(伽那)から湧き出るものです。
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