真名は三津の理解から学ぶ。
- yamato-567
- 2020年10月24日
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字として表現される前の三津、それを学びますのが、真名日です。
高天原宇宙の私が現れているという事は、それを反射(曲玉、米→光、菊)して現しているスクリーン(白神の王、高曲原、月、真我)があるはずです。
そのスクリーンに米(神の光、日)を当てている存在(神日)を合わせまして、三津と申します。
学びの三津が得心できますと、日月も得心できます。 そして、神の光(米、マンナ、まんま)が当たっている曲(真我、真名)から、世界(片仮名)を眺める姿勢が立つのです。 古今和歌集に真名序と仮名序とありますのは、三津の理解の順序という事です。 そして、カタカムナ(片仮名)の真名合わせがマナセの壺の真意ですので、ユダヤのアークのマナセの壺と、三種の神器の曲玉は、同じ真名の教え(マナイ)という事に成ります。 アークと神器は同じ事という理解を、お加木いたしました。
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