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生活避難民の方々が暮らしていた大野窟古墳~カッパドキアの地下岩窟に、長年の迫害避難民として暮らしていた、イエスの弟子たちと重なります。

  • yamato-567
  • 2020年11月20日
  • 読了時間: 2分

1月8日の八十井は、耶蘇、蘇りの祭祀の、仕事始めのような日です。

ところで、神武天皇の子である阿蘇の神八井耳命は、天津、国津、蒼津の、日の本、日向、日の国の統合の象徴でもあります。

そして、子孫でもある火の君は、立花による黄泉がえりの祭祀を、イエス以前の耶蘇(八十は熊襲、川上の事)から受け継いでいたのだと考えています。

姫路では、火の君の祭祀により、自らが生き返った事に驚いた娘が、火の君の所に嫁いでおられます。

その事で継という地名になったそうですが、継とは、嫁ぐでも跡継ぎでもありますが、ここでは、秘め事であり、火巫女です。

謎多き継体天皇も、復活のイエスも、皇継とは別の、継の祭祀であったという事です。

何事も自然の摂理に逆らう事がどういう事か知っていた継を継承した祖母(継乙女)が、継の祭祀をしたとは思えませんが、継を、国として見ますと、斎王という事であり、生かしでなく殺しですと、藁人形で知られる祭祀となります。

ただ、祖父(夫)の死亡の戸籍が、二度は覆りましたのは、継の祭祀だったのかも知れません。

写真は、火の君の墓ではないかといわれます、大野窟古墳です。

全長は123m、国内最大規模の石室、そして熊襲の横穴式九州型でありながら、大和型でもある、墓までもが、統合の象徴です。

さらには、新羅(白木)の土器、須恵器の出土から、半島を日本が治めていた名残もあります。



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