猿田彦石の使い道の真意と、赤星という地名
- yamato-567
- 2020年10月22日
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烏天狗の羽と嘴は、海の鳥(神日(巣))族の日本人で説明して参りましたが、鼻高(大)天狗は、烏天狗から変化したものでありますので、自称海の鳥族の私は、烏天狗と一括りで申しております。
それで、本日は、中国で流星といわれる伝承に隠れた、それ以前の変化を、なぜに変化したのかを、口伝で解き明かします。
鼻高天狗が猿田彦に似ているのはご存じだと思います。
裸の猿女のイメージから、性的なイメージと考えられていますのも、昔は、五穀豊穣は、子孫繁栄に直結していたからです。
ところで、菊池には、赤星という地名と共に、ご名字の方も多くおられます。
それは、古代の赤米(陸稲)の農事が、赤星といわれる、アンタレスを見て決められていたからです。
猿田彦の顔が赤いのは丹塗りもありますが、赤目はアンタレスです。
鼻が延びますのは、稲の成長への願いでもありますが、鼻長と呼ばず鼻高でありますのは、収量である穂高を示しています。
下駄を履かせますのは、穂高が手にとどかない所まである事の願いです。
ところで、熊本は、猿田彦石と呼ばれる不等辺五角形の石が、いたるところで見られるのですが、それは、農耕が始まった当時の、アンタレス周辺の星座によるものです。
五角形石は、拝ヶ石巨石群の頂上石のような、ストーンサークルと共に、ヨーロッパを中心に広がりましたが、魚の形(ノンモ)などのように姿を変えて、世界文明にも浸透しています。
写真は、アンタレス周辺の星と、坂口の花坂出水店前の、熊野宮の猿田彦石です。
同じお宮内で形が異なりますのは、星の写真でもわかりますように、頂点の星をどれにするのかが、時代により異なったからです。
欠けていますのは、割礼(聖別)だと思われます。
それで、本題の、なぜに変化したのかは、農耕が、本格的になったからです。
坂口は、古代の稲荷の星読み人(猿田彦)のように、皆さん方の道案内となっているのでしょうか。
稲穂を手に持つ猿田彦と星の写真は、お借りしています。

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