熊本の阿蘇と京の阿蘇、熊本の玉名と京の丹波は、真名を教える同じ多婆那
- yamato-567
- 2020年6月26日
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元を知らなければ、複雑に絡む、口が割れた呂の口縄の支配の鎖を、断ち切る糸口はつかめません。
325年、コンスタンティヌス皇帝は、キリスト教による支配の確立のため、第1回ニカイア(ニケーア)会議を開きました。
身代わりではありますが、イエスを殺した、当のローマが、イエスは元々、皆の贖罪のために、十字架にかかり、死にに来たという事にしたのです。
さらには、罪と許しという概念を徹底的に植え付け、個々の罪の購いのためには、イエスを信じる事が前提で、それはすなわち、ローマ教会、ローマの支配に、従順であれ、という事でした。
その流れは、ローマからロンドン、ロシアに至るまで、支配の構造として、受け継がれていくのです。
そして、ニカイア会議では、聖書の編纂も行われました。
最も重要でありましたのは、旧約聖書の巻頭の創世記、エデンの園(斎園殿)におきまして、年を経た蛇(縄文の口縄)が悪魔であるという、皆さんご存じの話です。
また、新約聖書巻末の、ヨハネの見た幻(黙示録)では、額に666の悪魔と念を押されています。
これは、666の額(火台)の八咫の鏡の視点と面(見るものは見られるものである(宇宙の中の私、私の中の宇宙の二面×顕幽神三界×来常、不動、田貫(行基)の視点面の計十八の視点面))である、観自在(私は在ると観る)の縄文の教えを差し示します。
聖書の元であった迦那安ウガリの神話、さらに、その元であった那日息ウガヤの縄文人が悪魔という、聖書の出自そのものを否定した、おかしな話なのです。
また、ローマの支配や、ローマになびく、ユダヤの祭司やユダヤ教の法律家と戦っていた、ナザレのベツレヘム周辺のユダヤ人は、元々の旧ユダヤ人でした。
そのイエス自身も、いつの間にか、白人種に仕立てられ、歴史が証しますように、今日に至るまで、他の人種の奴隷化が進められて来ました。
しかしながら、黙示録には、大どんでん返しが、すでに記されています。
イエスは、私は雲に乗ってくると、黙示録で告げています。
雲は雨(アーメン、祭司)を角力(ひっくり返し)する雨宮で、孫悟空が意乗った、きんと雲は、角力斗雲と記します。
まさに、司祭を祭司に戻す事が、角力です。
ひっくり返されるという事は、世界を災いで襲う、四つの邪馬の黙示録の話も、邪馬台の縄文人の、蘇りの教えとひっくり返されるのです。
イスラエルの元となった、ヤコブの天使との角力(相撲)も、同じ意味です。
大陸から帰って来た縄文日本人は、角松や角力(すまい)を伝え、その伝統が、今の日本にある事は、皆さんもご存じの通りです。
そして、千年王国という、黙示録の預言のように、迦那安→西安→安芸→平安と受け継がれ、平安京都は、まさに、天皇の、千年王国と成りました。
写真は、阿蘇の海の元伊勢の、カゴメ歌と縁のある籠神社と、奥の宮の天真名井神社と、球磨相良村のトトロの森の雨宮(アメン)神社です。
宮の下は、縄文の巨石(太陽観測)となっています。
籠神社、天真名井神社の写真は、お借りしています。

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