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熊本の玉名と京の丹波は、多婆那という同じ名

  • yamato-567
  • 2020年8月15日
  • 読了時間: 2分

真名井神社は、豊受大神元津宮であります。

豊であるユタと、受である宇気比で、神の願いに生きる祭司という意味になります。

それは、契約の箱(神輿、アーク)に入れられたマナセの壺(壺は神社の本坪と同じ魂)の意味が解けて、契約などない、神と親子の関係をお知りになられた事を意味します。

筑紫の玉キ名の玉手箱の真意(真那瀬、瀬は寄せては返す波打ち際で神と遊ぶ場所、夕カアマハラ、夕庭、丹波)に気づかれたのだとお察しいたします。

大陸から筑紫の玉キ名の那古井(小天、大海)に来られた方々が、出雲と京、丹波に渡られた事は、いくつかの共通する点が証明いたします。

八坂は八咫であり、加治(八)により作(坂)す、カチカチ山の方々で、田庭で斎園殿である丹波、祇園は、斎園殿(エデン)の示し家(ラィエデン、神成、〆シア)を示します。

祗は寿(住)舞いの言吹きの、吹き荒ぶスサノオの意味で、祇園は、神の子がすまいする斎園殿でもあります。

また、相撲(角力)は、すまいと申しておりました。

ヤコブがイスラエルと成ったのも、天使との相撲(すまい)に勝利したためです。

聖書のエデンの園は、日本の斎園殿の事で、イザヤの示しにより戻ってこられた方々も、東(日本)でようやく、真の斎園殿を築かれたのです。

それが出雲や丹波王国です。

言霊的には、神の申すを坂す、すもうであり、神の申すと人の申瀬(伊那、バッテン否→申是)で波が寄せては返し合い、申し申し亀(神)よに成るのであります。

そして、筑紫では阿蘇は山ですが、天の橋立の阿蘇の海の名(山幸彦に釣竿(祭り事)を渡した海幸彦は隼人)からも、筑紫王国と丹波王国が、切っても切れない縁である事がわかります。

丹後(加佐、与謝)の宮津城から熊本(比日仁育の暗示、巴と月の後ろの正面の肥後の暗示)に来て、水前寺成趣園という、古今の斎園殿を造成したのが、細川家である事も、縁は巡るですね。



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