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瀬戸内海を安全に航行していた倭人(やまとんちゅ)

  • yamato-567
  • 2020年10月14日
  • 読了時間: 2分

熊本(宇土)から大和へ、瀬戸内海を安全に航行していた倭人(やまとんちゅ)は、サッカー日本代表の植田選手や大関正代のような、体格がよかったと思われます。

以前、発見された古代の骨が異常に大きかったのは、船を漕ぐことに特化した筋肉と、長旅を僅かな食で敢行できるお腹を支えるものであったと思われます。

まさに倭人は肥えた人(肥人、体格が良い人)ですね。

7月14日に、宇土マリーナでは、古代船海王の乗船体験ができるそうです。

馬門石も貰えるとか。

ところで、高砂やでお馴染みの古今の歌は、九州から神戸などに渡る話です。

特に、岡山吉備の千足古墳や、奈良大和の大王の墓には、宇土の馬門石が使われていて、肥後家型といわれる古墳の型もあります。

なぜ家型かと申しますと、家財一切を方舟に積んで、大海を移動していたからです。

大洪水から逃れた、ノアの方舟型という事です。

ところで、聖書の出エジプトで、赤子のモーセが那入川に流された風習は、神から授かり直す那人の風習ですが、皆さんも橋の下で拾ってきたと聞いた事があられると思いますが、雛人形になるまでは、生身の赤子が流されていました。

また、紅海を割って渡った話は、宇土の干潟では軽トラが走るほど干満差が大きく、モーセには、那人の海の知識があった事は確かです。

そして、ユダヤの成人男性だけで60万人程の人口を、何年も放浪しながら養ったもの、モーセが突いて神に供えた白い種なしパンのマンナこそ、まんま(今もエジプトに自生する野生米)でこしらえた餅ではないでしょうか。

餅つきは、今でも日本人の風習です。

そして、雛餅の菱形は、ピラミッドの△▽イクムスビであり、神との結びの祭○タルムスビ、他人との結びの政□タマツメムスビと合わせたのがマンナ(マナセ)で、形として△▽○△▽□の六芒は六芒星🔯の真釣り合わせの形でもあります。

写真は、宇佐神宮の元として、いくつかの古文献に記されている熊本の菱形池と、中津臣鹿島(中津を真釣り合わせた中臣)の祖神が現れた、古代宇土の宮の前の鰐洞(ワニは大陸から渡ってきた人たち)と、宇土の桂原遺跡と、古代船海王です。

エジプト(那入川)での那人も、このような船に乗っていたのでしょうか。



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