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源為朝の子

  • yamato-567
  • 2020年8月31日
  • 読了時間: 2分

悲しい歴史がありましたが、沖縄は、天皇家と阿蘇家という、古代日本が継承された地であり、日本の中の日本です。

自宅から道に出ますと、源為朝が居城を構えた、雁回山が見えます。

源為朝は、荒くれ者のように語られますが、ここの木原不動尊(キ、イの暗示)を、深く信仰いたします。

イザナギの墓といわれるイ寺古墳は、この先です。

ここは、山へ出れば、婿入りとなった阿蘇の平忠国、宇土の海へ出れば、北の筑紫へ、そして、後に重要であります、南の阿多に出る拠点です。

阿多地域は、木花咲耶姫の故郷でもありますが、源為朝の子を琉球に逃がした、為朝の義父の忠国が、文献には、阿蘇ではなく、阿曽と載りますのも、宇土曽畑から阿多まで、同じ海(曽)人だったからです。

ましてや、阿蘇大宮司家を守るためには、平忠国の出自から消さねばなりません。

ただ、阿蘇も広いですから、源為朝に縁のある一族の多くは、祖の清和天皇の名が冠された、今の阿蘇清和村あたりに隠れ住まわれたのかも知れません。

清和村には、高い古典文化が、今もあります。

殺される可能性のある嫡男は、海人の力で、宇土から阿多を経由して、琉球に逃れたと考えられます。

それで、阿蘇大宮司家に今も伝わる、古事記の、神話の時代そのままの世界観が、源為朝の子が落ち延びた琉球にもあり、平忠国の平という姓もあるのだと考えています。

その道のりは、超古代、宇土曽畑から、阿多、奄美を経由して、沖縄の北谷町へ航海した祖先の、今のところ、大航海の縁だったのかも知れません。

伊(イ)の縁の、沖縄北谷町伊礼原遺跡の、こちらの宇土の曽畑と似ています、曽畑式土器の写真などは、お借りしています。


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