海の縄文人の真剣は祭木でもあります
- yamato-567
- 2020年9月11日
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古事記の中での神武東征の神話は、いくつかの時代の異なる場所のものが、ヤマトノイワレヒコという事でまとめられた話です。
これまで、大陸から日本への難民制圧でおきました、武神の活躍などを記してきましたが、もうーつの武神の話です。
殷王朝の司馬の名こそ、天下泰平の司、雉馬を引く埴輪、飛鳥と飛び立つ、ま鶴木(折張金の折鶴の真釣り合わせの真剣)です。
海の縄文人の真剣は祭木でもあります。 殷王の系統は、河内郡(中国河南省)で繋がっていたのです。 魏の元帝から禅譲を受け、西晋(元号は泰始)を建国した司馬炎は、武帝と名乗りました。 この事も一つの神武東征だと数えます。 また西晋は、敦煌の月氏の僧、竺法護などを何代も厚遇しています。 もちろん仏教でありますが、大陸神道(古代メソポタミア、シュメール、ウバイドなどの仏教の元)でもあり、それは卑弥呼の祭司や聖徳太子の仏教(大陸神道)信仰へと繋がります。 その後、愍帝の代になり長安が陥落し、漢の劉聡に殺される事になりますが、司馬睿が元号を建武(後醍醐天皇の建武の新政と同じ元号)として、東晋を建国しました。 わざと何々系を超えて記しましたが、申しあげたいのは、日本へ渡って来られたルートで、何々系という表記分類はありますが、日本へ戻って来られたという点では、元は一つで、日本は、紆余曲折した世界人類の、天下太平の統合の結実という事です。 続きはまたの機会にいたします。 写真は司馬炎(武帝)と西晋時代の墓と四神です。 日と月の相撲の行司などの写真もお借りしています。 天下太(泰)平の書は、河内の実家のものです。







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