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水平線の終わりにあるニライカナイのトリリトン(太陽神殿)

  • yamato-567
  • 2020年10月27日
  • 読了時間: 1分

最近、アメリカ大陸と縄文人の関係が話題になっていますが、熊本の宇土の曾畑人が、再び脚光を浴びているようです。

彼らは、すでに、今の半島人の祖先もいなかった、6000年以前に、韓国の釜山や沖縄の北谷村などに土器を遺していて、その活動範囲が、今の国境を超えて、広かった事がうかがえます。

そして、その曾畑人に影響を与えながら、すぐご近所で暮らしていた轟人は、南半球に至るまでの、先進的人類ではなかったかと考えています。

そうしますと、環太平洋は、曾畑人と轟人で一周いたします。

坂口自身は、肥後轟三水の河内の、ゴォーロの山のたたら水で育ったのですが、櫛目紋(蝶貝の暗示)と縄文(蜘蛛貝の暗示)の両方を受け継いでいますし、生まれた岩戸山のパンフレットにも、二つの貝が載っています。

これから、北米や南米での遺跡発掘が進みますと、13000年の大津波以前に、日本からは南南東の大平洋上にありました、日本人の祖先の島の、那日息比日仁育宇舎を中心としました、環太平洋文明があったとなるのかも知れません。

伝説が、ナラムスヒラヱプラウガヤと重なるニライカナイ(儀来河内)の写真などは、お借りしています。


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