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死んで生きる

  • yamato-567
  • 2020年7月3日
  • 読了時間: 1分

スサノヲが、行かなければならない、妣(ハハ)の国と申した根の国は、史実としましては、出雲の元の高句麗(コマ、狗奴、コマはクマと発声、菊池彦が行った球磨)だと考えられますが、沖縄では、ネはあの世、別世といわれますように、昼見(顕界、昼御子の卑弥呼の世界)から黄泉坂(鏡面)の先の、津久(月)夜見(神霊界)を示すと考えます。

ところで、山鹿(那馬嘉国)のチプサンとは、アイヌや古代朝鮮語では、船(天の浮舟)が降ろされる山(邪馬)という意味です。

言霊では、ヤアマアという、ア声の軽く浮き上がるままでは、降ろされた浮舟は、浮いてしまいますので、繋ぎとめる台(タイ、天の浮橋、石舞台)という、鈍く沈むす舞い(住)のイ声が必要です。

アイヌもモアイも、アオウエイの母(ハハ、根)音の言霊の妙用を暗示いたします。

その邪馬(四邪馬)からの聖書の黙示録は、邪馬(山)へ降りるから、邪馬(山)の台から昇るという、逆方向です。

雲は、雨となって、軽くなり昇った雨粒子(アーメン)を逆します。

それで、黙示録でイエスは、私は雲(角力斗雲、きんとうん)に乗ってくると、ヨハネに告げたのです。

そして、その教えは、死はいつも待ち受けているという理解から、生の執着から離れる、死んで生きる死生観の、日本の教えです。

京都の鞍馬(狗奴の由来)の気生根(貴船)神社、熊本山鹿のチプサン古墳などの写真は、お借りしています。



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