古事記が、いくつもの時代の話を一つにしたり、神名も人名も暗示であったり、最も決定的でありますのは、改竄されているにも関わらず、神伝と申し、天皇家では、その古事記の参考書とも申せます、古今和歌集の歌に秘められた真意が、伝授(古今伝授)となっておりますのは何故か。
その芯は、他の何々紀、何々経、何々文書にない、人が神生み島生みの、創造主であるという事が説明されているからです。
要するに、人には、神の子たる尊厳があるという事です。
宇宙が、何百何十億年かわからないけれども、それだけ経て生まれて来たあなたが、遠い宇宙の星々や、尊い神仏や、何々宇宙人の創造主だとは、信じられないと思います。
しかしながら、それが妙見でありますのも、逆立ちしておいでだからです。
現れては消えて逝く波(末)が実、もともと在るけれど気づいていない海(本)が虚実という認識が、末を法とする、本末転倒の逆立ちの認識(法)だという事です。
それで、鏡に映る鏡をみつめて、一つ一つ紐解くと申しますのが、666の十八の視点と面の、十八面観音という事です。
自身が見て感受している世界は、一視点と一面と勘違いしておいでだと思いますが、少し気をつけるだけで、宇宙の中の私と、私の中の宇宙の二視点二面がある事がおわかりと思います。
ここで、観音には、二視点でなく二面も付きますのは、見るもの(視点)は、見られるもの(面)である、鏡(八咫の鏡)の機能だからです。
他にも、来常、不動、行基(タカアマハラの対称性を戻す田貫)の三観音、顕界(建設現場)と幽界(資材倉庫)と神界(本社)の三観音の2×3×3の18と成ります。
観音さまの月命日でもあります。 その過定の様子を大雑把に申しますと、666の蕾→369の花咲→666の実と成ります。
そして、納めの観音の12月18日からの三日間(イエスがペテロ(岩戸)に申した一番鳥が鳴くまでに三度、真理を知らないと否定する修行)、冬至、冬至からの三日間(イエスの三日後の復活)の計一週間を、末法を終わらす復活の冬至の祭りとしましたのが、石組の鳥井(トリリトン)を世界に広めました、日本人です。
イエスを迫害したローマが編纂した聖書では、一週間が始まったとされるバベルの塔は、悪魔の塔とされ、冬至の祭りの象徴とされるニムロドは悪魔とされます。
また、アブラハムの父のテラも、偶像崇拝者としています。
そのように、ウルの土地も、築いた日本人も、悪魔として、逆さに封印されてきたのです。
私事ですが、父が亡くなった河内町聖ヶ塔も、バベルの塔であったと考えています。
年を経た蛇の名の父でありましたが、聖書の黙示録では、額(火台)の鏡の666を伝えるものが悪魔とする念の入れようです。
ところが、イエスは、黙示録の中で、私は雲に乗ってくると申しております。
雲は、黙示録の言葉を、雨(アメン)とひっくり返します。
そして、古今の歌の修行の場が、NHKスペシャルでもありましたが、岩戸観音と呼ばれる岩殿山であり、古今伝授の間がある水前寺成趣園は、同じ熊本です。
子が授からなかった母は、父の祖先が暮らしていた岩戸観音に祈願を重ね、冬至が始まる夜狄けの観音の12月18日に私は生まれ、それからも、18才に成るまで、毎月18日に母と一緒に参りました。
また、水前寺成趣園出水神社の古代の産道の入口が、花坂出水店です。
店前は、道案内をする猿田彦の熊野宮です。
写真は、岩戸観音のように、金芳山の麓にあります、肥州高野山の聖観音です。
聖とは、話すものの囗と、聞くものの耳が同じという事です。
また、こちらの聖観音は、神伝にあります、木花咲耶姫(369)の化身と言われています。
木花咲耶姫は、富士の浅間神社に祀られていますが、浅間は、熊本の阿蘇球磨(球磨の阿蘇谷)が訛ったもので、蘇り復活の蘇人という事です。 私は、加耶の祖先に甘えて、木花咲耶姫に参りましたが、後ろに吹き飛びました。
写真は、その直後に、無我夢中で撮ったものですが、重なった宝弓宝矢を持つ手の腕が曲がっています。
甘えてはならぬという事ですね。

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